人気ブログランキング |
タグ:イタコ ( 14 ) タグの人気記事
イタコの話6
誰にも遺言というのは語りかね、残しかねたが、親子の仲をば睦まじく:」歌うような語るような口寄せが響く。
 家族が一通り終わると「問い□」に移る。ご親類と近所の人の番だ。オカミサマヘ一口ごとに謝礼を払うため盆の用意がされた。
 最初は本家、次に分家、親類の婦人たちは百円玉を何枚も握りしめながら順番を待つ。「私は妹夫婦とその子供二人」と口数を告げ、お盆に謝礼を人れて待つ。区切りに鉦がカンカンと打たれる。すると次の人が前に進み同様にする。
 最後は(止め□)。ミチビキにオドゴオヤをおろしたので、トメクチにはオナゴオヤをおろした。
 二歩進んでまた戻り、二歩進んではまた戻る:・、我が子に最後を見るに見かねて、三途の川を引き取った。右は阿弥陀様、左は地蔵様、前後はレンゲ花に囲まれて座っている。運命は天に任せるべし、十月は家内家族に喜びの連絡の入るぞよ」と、母(仏)は告げる。新仏、男親、女親の先祖霊を送りだす「仏おくり」になると、縁側の戸を開けて霊にお帰りを願う。 すべてが終わったのは午後六時に近かった。
 死者の霊を寄せるのは津軽・南部のイタコだけではない。宮城県のオ力ミサマやオガミンも、秋田県のイチコ、山形県のオナカマ、
福島県のワカもそうだ。呼び名こそ違い、東北各県には口寄せミコかおり、それぞれの暮らしの中で、死霊の言葉を語り続けている。北海道にはアイヌのシャマン・ツス、沖縄にはユタも死霊を呼ぶ。
 古代のシャマンの系譜は一つは神社に結びついて神社巫女となり、地方を遊行する歩き巫女となり、里巫女となる。民間巫女は□寄せや祭文語り、祈祷、占いを業として生きてきた。
 口寄せ巫女は仏教の影響を受け、極楽や地獄、三途の川などを語るが、その根はもっと深いところにある。イタコのつぶやきの底に古代が顔をのぞかせているとすれば、カミサマ、オガミヤに縁談や失せ物、事業の着手などの伺いを立てる都会人の心にも古代が影を落としている。
 明治初期までは口寄せ巫女が日本全土を歩いていた。村にはカミサマ、オガミヤがいた。
 巫女は神社巫女と民間巫女とに大別できる。神社巫女は神社に所属し、神楽を舞ったり、湯立ての神事を司り神意を託宣したが、現在はシャマンとしての能力を失い、神官の補助役になった。
   続く
by jpn-kd | 2010-05-25 08:28
イタコの話5
丈夫なじいちゃんで、「十八日からワカメの取り人れを始める」と、加工用の塩三十五袋を用意し、張り切っていた。それが、夜中にばあちゃんの声で急変に気づいた
光夫さんの妻ちよ子さん(四五)が医者に電話をかけているうちに息を引き取るという、あっけない死であった。
 「何も言わないで亡くなったので、何か言いたいこともあるでしょう」と、ちよ子さん。この地方では、野辺の送りの次の日に新□を寄せる風習があるが、一月は「神様を遊ばせる(祈祷、御祓い)月」なので、オカミサマが多忙とあってなかなか空きがなく、この日までに延び延びになっていた。
 光夫さんが乗用車で唐桑町小鯖に迎えに行った目が不自由なオカミサマ・小野寺さつきさん(五六)が到着、十畳と六畳の襖を取り払い、午前十時に新口が始まった。
 柳と桃の木の枝を白布で巻いて麻紐で結び仏壇に供え、数珠を箱の上に置き、般若心経を読経。続き赤布のついた鉦を片手にカンカンと打ちならし、「そもそも地獄と申すは一百三十六地獄、はや急げ、はや急げ、声はすれども姿は見えず……」と地獄探しの祭文を唱え、仏おろしに入る。まず、ミチビキ(導き)と称してオドゴオヤ(武さんの父親の仏)をおろし、次に新仏がおりて来る。
 「元気に任せて暮らしておった
が、今突然、思いも知らずに、あんな姿に閉じ込められたときは、胸の中から首筋、胸の辛さは何にもたとえようがない。問わるる我が身は、声を立てる力も、すがる力もない。怖さというか、だるさと言うか、身の置どころのないほどの切なさで、相の枕(妻)よ、そなたには、人に知れない苦労ばかりかけさせ、難儀をかけさせた。立つも急ぐも順序であればよ、心残りはなけれども、ただ思いを至り、置かれたり、今まで苦心艱難求めて、やっと我々が左右から、ジンチャンよ、バァチャンよ、と言われて安楽な月日を前に、この世を立たなけれぱならぬものか、相の枕や、人の命と言うのは、はかないものだ。
 ばあちゃんのうめさん(六八)や、ちよ子さんは顔を覆って泣き、親類のおばあさんからも嗚咽が洩れる。
 「血の上がり下がり、また疲れが起きるのであるまいか、そなたの健康と家庭の円満を析っている」仏は世継ぎの宝、孫の宝と血の濃い者から順々にに語る。

by jpn-kd | 2010-05-23 07:07
イタコの話4
慈覚大師がこの地を訪れ、宴の河原と命名、厚く信仰せよと言い残した、大正時代に無数の赤い蛇が出て、その異様さにイタコに□寄せを頼んだところ、「天明大飢饉で餓死した沢山の無縁仏が供養を求めている」とのことだった。その供養塚を「蛇塚」と呼んでいる。川倉は餓死者を埋めた場所だったと見られる。津軽に地蔵が多いのは,繰り返す凶作で半ば公然と嬰児を間引きし、餓死者を見殺しにしなければならなかった罪悪感を洗い流すために地蔵にすがったからだろうか。
 招霊の実際
 「仏をおろすのは神や仏の力でなければとてもできることではない。神仏の力を借りて一心こめてやる。見えてくるわけではない。自分の胸にバンとおりてくるものだ。見えてきたら恐ろしいものだべな」(イタコ長谷川ソワさん)
 「とにかく霊感というものはありがたいものでね。面影が見えてくることもある。病気で死んだらそれらしく病人の姿、水死ならぬれた姿で出てくる。死体が上がらない仏は、別の先祖を呼んだ時に出てくることもある」(イタコ笠井キョさん)
 一心に拝むと、その仏が成仏しているかどうかが分かる。成仏していない時は仏は出ない」(イタコ三本木せりさん)
 仏おくり
イタコの祭文や口寄せには、独特の節回し、リズムがある。文化庁委託の、「イタコの習俗」調査で、音楽サイドからの取材を担当した工藤健一さん(青森県民俗音楽研究会会員・弘前市)
  「採譜する必要上、口寄せを片っ端からテープに録音して歩くのだけど、交通事故で死んだ仏の梧りなんか、状況の描写がリアルそのものでねえ。後から再生して聞くとこわくなってきますよ」。
ゴミソ
葬式の後に行われる新口(新仏の口寄せ)は、死者と生者のこの世での最後の別れである。五十七年冬。この年は雪が少なく、やっと二度目の雪らしい雪で、路面が白く凍りついた一月三十日朝、わかめの漁場、気仙沼湾の階上の気仙沼市岩月宇宝ケ沢、吉田光夫さん(四五、宮城県唐桑町唐桑中教諭)の家では、柳と挑の本の枝を切り、オカミサマ(口寄せミコ)の到着を待っていた。
 光夫さんの父、武さんの新口があり、親類や近所の人達が二十人程集まっている。武さんは十五日の午前一時二十五分、心筋梗塞で急死。六十八歳だった。
 続
by jpn-kd | 2010-05-22 07:17
イタコの話3
そのとき神がつくが師匠はそれを感知し「何の神がついた」と叫ぶ。弟子は「○○」と神の名を答え、気を失う。本人は何と答えたか覚えていない。失神した弟子を用意した布団に寝かせ、師匠か姉弟子が人肌で温めて介抱し蘇生させる。
 神つけの日にはしめ縄を張り、その周りに一反の紅白の幕を巡らす。浴衣からお腰まで新しくして中に入る。儀式の後、師匠と三三
九度の盃を交わし、実際に神おろし、仏おろしをする。これを初口を寄せると呼ぶ。うまく□寄せが出来れば合格で、師匠はイタコとしての身分を認め、守り筒、数珠、弓、錫杖、おしら様などを授ける。
守り筒はイタコが背中に背負う物で、「ダイジ」「オダイズ」「オマモリ」などと呼んでいる。イタコに聴くと「神様が人っている」という。本人は見られないし、勿論他人にも中を見せることを禁じている。数珠は「イラタカの数珠」と呼ばれ、勤物の牙、爪、貝、古銭類がついており、何代もイタコの手を経てツヤツヤに光っている。
 新しくイタコになった披露に師匠、姉弟子、同じ地域内のイタコ、親類を招いて、ユルシの祝宴を張る。結婚の披露宴に匹敵する程の盛大な祝宴。巫女は神の嫁という観念があり、本人が振り袖に島田髪の花嫁衣裳なような盛装で席につく地域もある。祝宴の費用はかなりの額になるが、一切が本人の実家の負担だ。
 更に礼奉公を務めて師匠のもとを離れ、ミアガリ(一身上がり=一本立ち)する。その時も披露宴を催す。
 イタコのなりてがないため、南部でも津軽でも神つけの儀式や披露宴は行われていない。
 川倉地蔵の祭典は旧暦の六月二十三日を中心に三日間。年に一度ずつ会いにきて、供養して泣く。
二十二日の宵宮から十数人のイタコが集まり、口寄せを行う。子を亡くしたおがさまたちの心の痛みは、イタコの心の痛みでもある。
ここでも恐山の大祭のように泣いた後は歌い踊る。素人民謡大会の舞台がかかり、小中学生の相撲大会が開かれる。□寄せの声に混じり民謡が流れ、勝ち名乗りが響く。
 川倉地蔵
 津軽地方には地蔵信仰が盛んで、一例を上げると人口が約六千人の稲垣村に約千百体の地蔵があるという。この津軽を代表する地蔵祭りが川倉地蔵の祭典。千三百年前に川倉に火の玉が落ちるのを見て、その場に行くと石を三つ重ねた地蔵があった。

by jpn-kd | 2010-05-21 06:01
イタコの話2
笠井キヨ 六十六
五所川原市桜田。数え十、もう少しで尋常小学校三年生の終業式に眼が悪くなった。数え十五で隣村の毘沙門(五所川原市)にいる七十歳の師匠に弟子入り。イタコと言う言葉を間くだけでも嫌で、母親の背中で泣きながら弟子入りしたのを覚えている。入門は昭和四年の旧三月十八日。次の年の六月十日から七日間の行で修行が終り独立。
 イタコになるのが恥ずかしく、同級生が来ると逃げた程だが、今になれば師匠のお蔭だなとつくづく感謝することがある。この道を選んでなければ誰も声をかけてくれなかった。
長谷川ソワ 七九
北津軽郡小泊村派立
十か十一歳の時ハシカで眼が見えなくなった。親が生きているうちに飯の種を身につけなければとドンザカ(筒木坂・木造町)のイタコ三橋ハル(故人)に弟子入りした。十四歳だった。修行は辛かった、祭文は数えたてられない程、覚えなければならない。食事の支度や庭の草取りも自分の仕事。十五歳でイタコを始め、二十一歳で小泊に嫁に来た。夫とは二十三年前に死別。家を新築した時、ご神体を赤倉(岩木山)に納め現役引退。
けいこ
イタコは修行のことをけいこと言う。彼女らは生まれながらの霊媒者ではない。多くは初潮前、十二、三のころに師匠の家に住み込み、拭き掃除、炊事などの日常の雑務に追われながら巫業を習得する。
修行中の食い扶持は弟子の実家負担。朝読み、夕読みと称して、朝夕、師匠が神おろしや祈祷の唱え言、オシラ祭文などを口移しで教え、口寄せの技術を伝授する。忘れると師匠から体罰を受ける。修業期間は早くて一、二年、普通は三、四年。中には七年もかかる人もいる。覚えが悪く途中で脱落する人もいる。
 イタコ修業の仕上げが神つきの儀式。一人前のイタコになる資格試験。ダイジュルシ、デンジュ、ユルシなどと呼ばれるこの儀式は地方、師匠により様々。
 弟子は断食、もしくは塩断ちして七日間、水ごり、おこもりなどの行を課せられる。当日は三斗三升三合三勺入りの米俵を三つ重ねにして座敷の中央に向かい合わせて置き、四方を幕で囲う。弟子は白装束をつけ、師匠と対座し、一心に般若心経などの経文を唱える。
心身ともに衰弱しており、読経や水ごりを繰り返すうちに次第に放心状態となる。

by jpn-kd | 2010-05-20 07:10
イタコの話1
葛西サナ
平賀町大字尾崎字稲元。白装束の行衣をまとい錫杖、数珠などを取り出し仏おろし。
 ろうそくを灯し、柏手を打ち、エイッと気合を入れ、場の設定(神の場)に入る。「ハライタマエ、キョメタマエ:」梓弓を使う数少ないイタコの一人で、音楽的にもリズム感が良い。五十一年四月に神おろし、仏おろしで、国立劇場で聞かれた「第一回アジア伝統芸能の交流」に出演。平賀町から五十五年に「昔ながらの口説き文句を伝承する当町唯一のイタコであり民俗学上貴重と文化財に指定された。
 新口・古口
 巫女の口寄せには神口・生き口、死に口があり、死に口は新口と古口に分類される。新口は死の直後、埋葬の当日、埋葬後七日、あるいは三十五日、四十九日、百カ日に行う。百ヵ日までを新口とし、それ以上を古口とする。イタコは新口をやらない。百ヵ日を経過しないと仏様はあの世に到着しない為。
 仏おろしの型
①招霊・仏を招き寄せるための唱え言。数珠や梓弓(現在は殆ど使わない)を嗚らし、死者の命日、年齢、性別を聞いて、地獄、極楽から該当する仏を探し求める。
②仏が出て招霊を受けたこと、口寄せしてくれることに対して感謝する
③死後の世界での境遇、死んだことへの欺き、無念さなどの心境を語る。
④生前の回顧
⑤供養の花を絶やさないでくれなどの遺族への希望
⑥占い、仏をおろした人や身内への予言、注意、警告、吉凶。
⑦仏おろしの感謝と訣別の挨拶
⑧仏おくりの巫儀であの世に送り帰す
 内容は呼ばれる仏の新旧、男女、年齢、既・未婚、死因などで差があるし、招霊、仏おくりの方法や唱え言も、そのイタコが教わった師匠によって違ってくる。口伝なので意味がよく判らない部分もある。客は声が仏に似ている、占いがよく当たるなどを考慮してイタコを選ぶ。

by jpn-kd | 2010-05-19 08:30
八戸イタコ・JRジパング世代の雑誌に紹介
b0183351_9452420.jpg
高齢者を旅にいざなう企画を盛りだくさんに紹介するのが、「旅カタログ・楽」そのなかに八戸イタコが掲載された。
殿様お姫様気分を堪能する八戸「お庭えんぶり」公演と八戸冬寿司三昧と題され、イタコの口寄せ体験プラン(有料)として「イタコの口寄せ」の体験プランをご用意しました。ご希望のお客様は予約時にお申し込みください。日時二月二十日(土)19時半~定員15組様限定、会場宿泊地内、料金一件4500円。
 こうしてイタコに光があたることは喜ばしい。イタコは職業別電話帳には載っていない。誰かが喧伝しなければならない。多くの人の記憶の中に、八戸には天国を繋ぐことの出来るイタコがいる。これを覚えてもらえれば、新しい観光の機軸となろう。
b0183351_9454089.jpg

by jpn-kd | 2009-12-30 09:46
天国に一番近い駅八戸6
b0183351_1940437.jpg
お盆に入りイタコが活躍している。のぼり旗を見て、次回、こうしたイタコの口寄せがあったら連絡して欲しいと、20名以上の人が申し込んだ。
 一日17名しか口寄せしないからだ。八戸地区には十七名ほどのイタコがおられる。この人々を並べて、恐山のイタコ小屋のようなもの、つまり、ステージを設けてやるようにするといい。
 さすれば、一日二百八十九名、つまりおおよそ三百名に口寄せをすることができる。世の中は病んでいる。子が親を殺し、親が子を殺す。八戸では弟が、中学生の友人に、兄貴に殺されそうだと悩みを訴えて、そして一家が兄に惨殺された。むごい話だ。こうした悩みを解決できずにいる現状を憂う。
 悩みを誰に相談したらいいか、中学生は教師しかいなかろう。ところが、この教師がアテにならない。女性の部屋に侵入したものがいた。小学校の教師だ。全部が全部こうではなかろうが、どうしたものか、これらを取り締まる手段がない。教師は県職員、市は文句を言える立場にない。
 殺された弟を仏降ろしする者とていない、一家が滅びたからだ。言いたいことも言えずに死んで、言いたいことを仏降ろしで聞いてくれる者もいないでは、死者は沈黙を守るしかない。
 それでも、お盆の間中、仏を降ろしてくれる、心優しい家族や子孫がいる死者は幸せだ。心の奥底に、その面影をひっそりと、そして確かに抱いているからだ。
 記憶にも記録にも残らない人生、それもそれで、いいのかも知れぬが、血肉を分けた先祖、祖父母に父母、兄弟姉妹、忘れられない楽しかった思い出、何の見返りも期待せずに、ひたすら育ててくれた恩愛を、しみじみ偲ぶのが盆、すがしい提灯に灯をいれて、故人たちが集まる時が静かに過ぎて行く。
by jpn-kd | 2009-08-14 19:41
天国に一番近い駅八戸5イタコ大盛況
三社大祭期間中、八戸駅の観光総合プラザで試験的に実施された、イタコの口寄せ、あの世からの仏降ろしは、大盛況で、一日の予約十七名は全て埋まり、次のお盆期間中も、河北新聞に掲載された効果で、仙台人からの予約が多く入り、既に満杯。
 イタコの職業は電話帳に掲載されない。何の仕事でも電話帳に載ってると、石原都知事の倅がテレビで言うが、載ってないのもあるんだ。そんな、隠れているけど立派に、人々のお役に立つ仕事が、南部八戸にはある。こうした、誰もが、こりゃなんだ? 知らなかった、そうしたものに触れたい、見たいの願望を喚起する、まるで謎解きなんだ。
 誰も死んだことがない、あの世はいいとこらしく、行った人で帰ってきた者がない。父さんがどうしてる、あの優しかった母さんの声を、もう一度ききたい、最近、カラオケ屋で、しみじみ聞かせる歌がある、中高年が好んで歌うすぎもとまさとの「われもこう」だ。まさに、これが、子が母を思う、しみじみ偲ぶいい歌だ、日本人の心の中に、これがある限り、どんなに時代が変ろうとも、どんなに悲惨な災害が起ころうとも、その場から力強く立ち上がれる。それは、女の力があるからだ。頭を抱えて嘆く男より、今日のご飯を子どもたちに食べさせなければの母の愛がある。それが、一日、いちにちを押して行く原動力になる。今日を精一杯生きろと母が教えるのだ。誰しも母がある、そして、十分な孝行も出来ずに、あの世に去られてしまう、そんな、日本人の生き行くことのせわしさのなかに、しみじみ母親や、先祖を偲ぶのが盆だ。
「われもこう」はこう教える。
盆の休みに帰れなかった、俺の杜撰さ嘆いているか、あなたにあなたに謝りたくて、山裾の秋、ただ一人来た、ただ、あなたにあやまりたくて、
 日本人の心、生前、できなかったことを、ただあやまりたくて、せめても、イタコの声を聞く。天国に一番近い駅八戸、日本国中から、「われもこう」の歌を聞きながら、親不孝の、母親不幸の中高年が八戸に来る。懺悔の街、八戸。観光協会もいい仕事をした。
by jpn-kd | 2009-08-06 07:08
天国に一番近い駅八戸4
b0183351_13305880.jpgデーリー東北新聞8月1日号
イタコ口寄せ人気
 八戸観光協会が試験的に始めたイタコの口寄せ
31日、JR八戸駅の八戸観光プラザ
○・・八戸三社大祭の開催期間に合わせ、八戸観光コンベンション協会は31日、JR八戸駅中2階の「はちのへ総合観光プラザ」で、イタコの□寄せを始めた。
 イタコを新たな観光資源にしようと、同協会が実証事業として今年初めて企画した。八戸三社大祭(7月31日~8月4日)とお盆(8月13~16日)の期間中、プラザ内の控室を会場にし、八戸市在住のイタコが□寄せを行う。料金は1回3500円。午前10時から午後3時まで。
 初日は、生前親しかった人の「話」を聞こうと市民や観光客らが次々と訪れ、イタコの話に熱心に耳を傾けていた。この日は計13回の□寄せが行われた。
 同協会の笹坦正弘会長は「悩み多き時代に、心に触れるものを提供するとともに、観光振興にもつなげたい」と話している。はちのへ総合観光プラザ=電話0178・27・4243=で電話予約を受け付けている。受付時間は午前9時から午後5時まで。
by jpn-kd | 2009-08-01 13:31


ブログで行政改革をめざす日本救護団
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
メルマガ-まぐまぐ

メルマガ購読・解除


 

カテゴリ
タグ
以前の記事
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
記事ランキング
検索
楽天
その他のジャンル
画像一覧