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カテゴリ:八戸市興隆案( 5 )
郷土の誇り、えんぶりがまた来る
郷土の誇り、えんぶりがまた来る
成人式で小泉進次郎氏が言った。
「横須賀を離れて日本に飛び出せ、そうすれば横須賀の良さが判る」
言葉が足らずなのか、放送局のテープカットのせいか、イマイチ判らぬが大体こんな意味を言ったようだ。
八戸市には誇れる祭りが二つある。
夏祭りの山車、冬祭りのえんぶりだ。
小雪の降りかかって見物人が寒さで背中を丸め、そこをえんぶり組がやってくる。
手平がねの音、太鼓の響き、鼻水垂らしてえんぶりの往くのを眺める。
今年も生きて、この響きを聞いた。
これを他都市で聞いたらどんな、心持ちになるだろうか。
あ、えんぶりだ、まさか、ここでえんぶりの囃子が聞ける訳はない、でも、やはりえんぶり囃子だ。
こう思ったら裸足で駆けて、音に近づこうとする。
これが八戸魂だ。
ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの、室生犀星の詩だ。
訃報が来た。東京で一人暮らしをした八戸市の友人が孤独死。誰に見とられることなく死後一週間経過し発見された。友人の手帳に連絡先が書かれ、そして、その通知を受けた。
死ぬときに、えんぶり囃子が聞こえていたろうなあ、工藤というえんぶり囃子の名人だったよ。少なくともオレはそう、信じていたのさ。
えんぶり囃子が小雪の降りかかる寺横町に流れる、間もなく、工藤がこよなく愛し、えんぶり組の属し、太鼓を巧みに叩いた、あの姿が目に浮か。死んだ工藤もあの、ゆかりのえんぶり組の中に混じっていることだろう。
工藤、お前の奮闘したえんぶり組のDVDを市民に見せたくて、八戸市役所の社会教育課に頼んだよ、そしたら結果が来たので、読んでくれ。オレは精一杯努力したけど、今年のえんぶりには役に立たない。勘弁してくれ。お前の訃報にふれ、それでもオレは精一杯やったよ。
小川真様

 えんぶりDVDの活用状況のお問い合わせについてお答えいたします。
 今年度は、2月1日(金)開催予定の「家庭教育研修会」(定員300人)の開始前の時間に、翌日開催の「民俗芸能の夕べ」のPRを兼ねて、えんぶりのDVDを上映し、受講者に視聴していただく予定です。
 また、来年度は、公会堂文化ホールで開催する「市民大学講座」(今年度の同ホールでの受講者数は2,952人)の開始前(開場から講演が始まるまでの1時間の間)に、えんぶりを含む民俗芸能のDVDを上映し、受講者に視聴していただきたいと考えております。
 公民館での上映につきましては、今年度は、公民館講座の内容が既に決定しているため、新規の講座としてのDVD上演は困難ですが、来年度に向けて、講座を企画する公民館主事の研修会(1月16日開催)で、収蔵DVDを紹介する予定です。
 さらに、来年度の公民館におけるDVD上演を促進するため、今年度は、公民館への貸出用として、パソコンに接続できる小型スピーカー1組を購入予定です。
 以上、よろしくお願いいたします。

by jpn-kd | 2019-01-15 17:11 | 八戸市興隆案
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 4
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 4
あるものを最大利用しよう、八戸市にあるのは美人力だ。無い物は新たに作り出せばいい。郷土芸能えんぶりも誰かが作った。はっちに郷土の偉人顕彰フロアあり、もっと多くの八戸の偉人を顕彰しよう。彼らは八戸魂の持ち主だった。
穂積建設、穂積重二の巻1

昭和二十六年、千葉市検見川の泥炭培から古代ハスの種子が発見された。発掘は東大名誉教授大賀一郎によるものであるが、協力したのは千葉市立花園中学校の教職員や生徒たち、そして八戸の穂積建設社長穂積重二や系列の近藤建設の従業員たちである。大賀が一万円を出し千葉県が五万円を出してこの発掘作業は始まつた。
予算内で発掘できるとの見込みであった。作業は、泥炭層を作業員が掘り、近くの花園中学校の先生と生徒たちがその土砂を「篩にかけ」た。
しかし、ハスの種は一向に発見されず、資金切れでついに作業は中止とならざるをえなくなつた。
ところが、「お金にならない」このロマンに突き動かされたのが穂積であった。かれは中学生たちの献身的なボランティア活動に接し、また「すぐ見つける」と豪語したその責任を感じていた。穂積は自己資金で掘り進める決断をした。
しかし、どうしても発見されず、大賀は「明日は中止しよう」と決断した昭和二十六年三月三十日の夕方、一人の女子中学生が「先生、こんなものが出てきました」と大賀に報じた。
それは一粒のハスの種子であった。
七十歳を過ぎていた大賀は思わずはらはらと落涙。人々は色めきだち安堵したが、穂積は「一粒では心配だ」ということでさらに掘り進めたところ、二粒出てきた。しかし、毎日費用が嵩む。そこで、大賀は「作業中止」を申し出た。
やがてこの古代ハスの種子は二千年前のものであることがアメリカで証明され、大賀はこれで世界的に知られることとなった。
穂積の義侠心なくして、この種子は発見されなかった。このハスは慎重に培養され、そして、穂積の業績を称えて埘和四十四、四十五年に、八戸の寺院の池に分根移植された。やがてこの「大賀ハス」は対泉院の池で淡紅色の神秘的な花を咲かせた。


by jpn-kd | 2019-01-10 06:48 | 八戸市興隆案
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 3
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 3
あるものを最大利用しよう、八戸市にあるのは美人力だ。
八戸市史から
昭和二十七年十一月、田舎の八戸なぞに電気などいらない、と偏見をもっていたらしい、電力王と称された松永安左衛門は、八戸を視察した際の宴会で珍味の「ホヤ」のお代わりをした。そのとき、側にいた八戸美人(芸者)が「先生、ホヤはいっぱい差し上げます。「その代わりに電気をください」と機転をきかしたところ、八戸に十五万ボルトの送電線ができた、と伝えられている。
その時、松永幾つか、77歳の爺だ。
それでは何故、松永が電力に影響力を持っていたか、共に、お浚いだ。
明治8年に壱岐島の旧家に生まれた安左エ門は、慶応義塾を中退し、家業を継ぐが3年で廃業。日本銀行に就職するも、サラリーマン生活になじめず1年で退職、材木商、綿糸ブローカー、石炭商、コークス商などを試みた。特に、石炭で大儲けし、人脈ができた。その人脈によって北九州での電力に目が向き、のちに九州電気株式会社を設立、電力業経営へと注力していく。当時の日本では、財閥が日本全体の富の7割を占めており、政治や産業界に大きな影響力をもっていた。しかし、安左エ門の持論は、産業は自由競争の立場で企業者は創意工夫をしながら大成してゆく、というものだった。加えて、安左エ門は自分が正しいと思ったことは権力に屈服しない、筋金入りの反骨精神の持ち主であった。九州から関西、東海道の電力会社を次々と傘下にした。大正12年の大震災で被害を受けた東京、横浜の電力会社は安左エ門に助けを求め東北電気、東京電力など約100社ほどを支配下にした。
 やがて日本は、軍部の統制が強まり、国家において電力の送電と発電を統制管理すると発表。安左エ門は、電力国家管理に反発して、「(軍部と手を握った)官僚は人間のクズである」と言い放ち、身の危険を顧みず反対運動を続けた。
 しかし、昭和12年「電力国家管理案」は国会で通過し、翌年日本発送電(株)を設立、昭和14年には戦争に突入した。安左エ門は、「俺は会社をやめる」と言い残し、一切の事業から手を引き隠居。
 終戦を迎えた昭和20年。安左エ門は、戦後の日本復興は電力、日本発送電を含むすべての設備を分割し、地域ごとに電力配給の責任をもつ「九分割案」体制。
 安左エ門はGHQへも足繁く通い、自説の説得にあたった。総司令官マッカーサーより安左エ門の案を容れた。孤軍奮闘のなかにおいても、安左エ門の根気強さが勝利した瞬間であった。
昭和26年、民営の九電力体制の整備にあたり、電気料金の適正価格算出を行った。各電力会社の要望は76%の値上げ。電力需要の上昇に伴い、燃料の石炭が需要に追いつかず、できたばかりの電力会社にとっては発電設備も乏しく停電解消が目下の急務。安左エ門は値上げは必要と主張。国会に参考人として呼ばれたが自説を曲げぬ。ために「電力の鬼」と呼ばれた。


by jpn-kd | 2019-01-08 04:56 | 八戸市興隆案
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 3
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 3
あるものを最大利用しよう、八戸市にあるのは美人力だ。
八戸市史から
昭和二十七年十一月、田舎の八戸なぞに電気などいらない、と偏見をもっていたらしい、電力王と称された松永安左衛門は、八戸を視察した際の宴会で珍味の「ホヤ」のお代わりをした。そのとき、側にいた八戸美人(芸者)が「先生、ホヤはいっぱい差し上げます。「その代わりに電気をください」と機転をきかしたところ、八戸に十五万ボルトの送電線ができた、と伝えられている。
その時、松永幾つか、77歳の爺だ。
それでは何故、松永が電力に影響力を持っていたか、共に、お浚いだ。
明治8年に壱岐島の旧家に生まれた安左エ門は、慶応義塾を中退し、家業を継ぐが3年で廃業。日本銀行に就職するも、サラリーマン生活になじめず1年で退職、材木商、綿糸ブローカー、石炭商、コークス商などを試みた。特に、石炭で大儲けし、人脈ができた。その人脈によって北九州での電力に目が向き、のちに九州電気株式会社を設立、電力業経営へと注力していく。当時の日本では、財閥が日本全体の富の7割を占めており、政治や産業界に大きな影響力をもっていた。しかし、安左エ門の持論は、産業は自由競争の立場で企業者は創意工夫をしながら大成してゆく、というものだった。加えて、安左エ門は自分が正しいと思ったことは権力に屈服しない、筋金入りの反骨精神の持ち主であった。九州から関西、東海道の電力会社を次々と傘下にした。大正12年の大震災で被害を受けた東京、横浜の電力会社は安左エ門に助けを求め東北電気、東京電力など約100社ほどを支配下にした。
 やがて日本は、軍部の統制が強まり、国家において電力の送電と発電を統制管理すると発表。安左エ門は、電力国家管理に反発して、「(軍部と手を握った)官僚は人間のクズである」と言い放ち、身の危険を顧みず反対運動を続けた。
 しかし、昭和12年「電力国家管理案」は国会で通過し、翌年日本発送電(株)を設立、昭和14年には戦争に突入した。安左エ門は、「俺は会社をやめる」と言い残し、一切の事業から手を引き隠居。
 終戦を迎えた昭和20年。安左エ門は、戦後の日本復興は電力、日本発送電を含むすべての設備を分割し、地域ごとに電力配給の責任をもつ「九分割案」体制。
 安左エ門はGHQへも足繁く通い、自説の説得にあたった。総司令官マッカーサーより安左エ門の案を容れた。孤軍奮闘のなかにおいても、安左エ門の根気強さが勝利した瞬間であった。
昭和26年、民営の九電力体制の整備にあたり、電気料金の適正価格算出を行った。各電力会社の要望は76%の値上げ。電力需要の上昇に伴い、燃料の石炭が需要に追いつかず、できたばかりの電力会社にとっては発電設備も乏しく停電解消が目下の急務。安左エ門は値上げは必要と主張。国会に参考人として呼ばれたが自説を曲げぬ。ために「電力の鬼」と呼ばれた。


by jpn-kd | 2019-01-08 04:56 | 八戸市興隆案
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 1
商工会議所を中心として八戸市を興隆させよう 1
八戸市にないものを作る、それが市民を元気にさせる
八戸美人年鑑 八戸市にはギャルから年増まで美人が多いがそれをじっくりと味わう時間が欲しい、それには紙ベースの印刷媒体の美人年鑑作り
かつて、八戸市が湧いた事象を確認、それは八戸市小中野にあった遊郭を中心とした遊興の巷、ここに料理や芸者置屋があり芸者の配置を見守る見番があった。ここで芸者美人投票があり、毎年盛り上がった。
八戸市商工名鑑の動画復活 
かつて八戸市商工会議所は市内全商工業者の名鑑を作った。それには個人名、商店名が網羅され、いかに八戸の町が賑やかだったかが偲ばれる。そこに記載されることがステータスでもあった。中心商店街の人通りは年々減少、だが、八戸市で営々と商工業にいそしむ人々は多い。それを記録することは明日への活力の源となる。これをYOUTUBEに3分動画としてアップしよう、そして、それを集めたDVDを商工会議所が販売する。動画作成には市内写真館に優秀なカメラマンがおられるので協力を願おう


by jpn-kd | 2019-01-03 07:10 | 八戸市興隆案


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