カテゴリ:蕪島神社焼失事件( 16 )
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える16
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える16
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消防が所有する書類の胆は火災原因判定書
火災原因判定書(1号処理)
この出来が原因究明を左右する
写真の通り黒塗り多く残念だが、つないで考えてみよう。

表記の火災について、次のとおり原因を判定した。
平成27年丨2月20日
所属八戸東消防署鮫分署
職氏名消防司令田中英明
出火箇所の判定
第[線到着時の状況から、本殿東側、西側及び北側の軒から火炎が噴出していたが、建物外周部には火炎が確認されていないこと。
実況見分の結果から、
第1線到着時の状況及び実況見分の結果⑴〜(5)までを考察すると、●●●からの出火が推測される。しかし、実況見分の結果(6)〜(8)までの状況を加味すると、●●●した可能性’も考えられる。.
以上のことから、のいずれかに出火箇所を特定できる証左が得られないことから、出火箇所は不明として取り扱う。
2出火原因の判定
(1)屋内配線実況見分から
参考資料(4)から、●●●
また、関係者の供述から●●●と供述していることから、屋内配線からの出火は可能性が低いと考えられるが、関係者の供述から本殿付近の屋内配線は約38年経過していると思われ、さらに、出火建物の立地条件及び本殿の建築構造から、塩分による劣化の助長も推測されること。
以上のことから、屋内配線からの出火は否定できない。
⑵配線器具
実況見分から、
関係者の供述から、●●●」と供述していることから、配線器具からの出火は考えられない。
⑶放火
第1線到着時の状況及び関係者の供述から、●●●
第1線到着時の状況から、「建物北側本殿の東側、西側及び北側の軒から火炎が噴出しており、南方向に延焼拡大中であった。」とあり、外周部への延焼は確認されていないこと。
実況見分から、
|〇画建物内への放火については考えられないが、出火時刻が早朝であり付近一帯は暗く人目に付きにくい状況であったことに加え、出火建物の立地条件から敷地内べは容易に侵入できること。本殿外周に可燃物が存在していたこと。本殿の基礎と土台の間には隙間が空いていたこと
~さらに、出火当時、南南西の風が吹いていたと思われること。
以上のことから、放火からの出火は否定できない。
丨結論
本火災は実況見分、関係者の供述及び警察の情報から、屋内配線及び放火からの出火が考察されるものの、いずれも発火源、経過及び着火物を特定できる証左が得られないことから不明として取り扱うものである。

結論
建物の平面図なし
増築部を特定せよ
宮司野沢俊雄が言うLEDは何処にあったのか
その部分の焼けた状況は?
野沢が東奥日報のTVで告げた高校生が階段を急いで降りてきたという発言はあるのか?
幾つかの疑問あり、それは解明されていない。
消防の努力は認めるが、利口が足らない。



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by jpn-kd | 2018-07-28 06:28 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える15
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える15
消防指令補木本の実況見分書は克明を極め、火災現場を正確に伝えている。こうした書類は八戸市民の目に触れることはない。
が、消防は単に鎮火だけを目的とするのではなく、火災の原因の特定、更に消火により保険金などの金銭的損失、また、よくある火災保険金詐欺などを特定するものだ。
蕪島神社火災実況見分調書に木本はこのように書いた。
立会人の説明、実測及び立会人が保管していた図面に基づき、添付図面N0.3り災建物平面図、添付図面恥4本殿付近拡大図、添付図面N0.5焼き状況図及び添付図面N0.6本殿付近復元図を作成した。
なお、当該り災建物は建築面積291.11ポ、延べ面積240. 45ポで、消防法施行令別表第丨(15)項に該当する防火対象物であるが、当分署において確認申請書等を受理した経過はなく、防火対象物台帳の作成、消防用設備等の検査及び査察は行われていない。
2)り災建物の状況
ア建物外周(添付図面№>.2、3、参考資料(6)参照)
(ア)南側(写真N0.1、2参照)
西寄りの一角は、外壁東面上部が黒く焼け焦げ、煤が付着している。
屋根は、西寄りの一角にあるひさし部分の銅板板瓦が一部茶色に焼き変色している。向拝上部及び東寄りに一部残存している銅板板瓦が茶色に焼き変色、下方に湾曲している。1垂木などの屋根組材が鱗状に炭化しており、銅板板瓦の裏側を見通すことができる。
中央付近は、柱、まぐさ及び梁が鱗状に炭化しており、まぐさ上部の外壁が茶色に焼き変色している。扉などの部材は黒く焼け焦げ付近に落下しており、建物内を容易に見通すことができる。
東寄りは、外壁が茶色及び黒色に焼き変色している。腰窓は溶融変形したアルミ製の窓枠及びサッシフレームが残存しており、掃出し窓は溶融変形したアルミ製の窓枠のみ残存している。柱の上方、梁、つり束及びまぐさは鱗状に炭化している。柱の下方、中差し及び窓台は黒く焼け焦げている。
地面には、焼きした部材、銅板板瓦及び収容物が散乱している。
このように現場を生々しく伝達。
立会人とは宮司野沢俊雄だと推測できる。その発言は黒塗りのため不明。



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by jpn-kd | 2018-07-27 06:39 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える14
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える14
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2ヶ月かかって消防が蕪島神社火災調査報告書を提出してきた。一部開示で全面開示ではない。ために、予想をしながら読む必要あり。
公文書は国民の財産、それを作成するために役人を雇用。十年後、二十年後に最新の機器が登場し、火災原因を簡単に解明できるようになるかも。
文章は作成する人間の意図が読み取れる。嫌々書けばそれなりに、真剣に書けば熱意が伝わる。調査員は八戸東消防署鮫分署消防指令補木本聡
さて、野沢の蕪島神社丸焼け事件だ。
出火時刻は4時15分
入電時刻4時24分
指令時刻4時26分
放水開始消防署4時37分
現場到着し放水開始まで11分は階段を駆け上がる時間を要した
蕪島神社境内に消火栓を設置するべき
ホースは20米、何本か接続しないと神社まで到達しない。
ポンプで押し出さないと神社まで水が上がらない。
タンク車は2トンの水を積載しながら走行、現場で直ちに放水可能。
が、蕪島神社境内まで上る道がない。
特殊な火災だ。
野沢はヤドカリで入り込んだ神社の特性を認識していたのかね。
消防団放水開始は4時55分
火勢鎮圧時刻6時37分
鎮火時刻9時13分
通報は固定電話、携帯ではない。
第一線到着時の状況
現場到着時、建物北側の本殿東、西、北の軒から火焔噴出、南方向へ延焼拡大中。
出火経過
本火災は、実況見分、関係者等の供述及び警察の情報から、放火及び電気関係からの出火が考察されるものの、いずれも発火源、経過、着火物を特定できる証左が得られないことから不明として取り扱うものである。



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by jpn-kd | 2018-07-26 00:27 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える13
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平成25年3月の頃、毎年蕪島祭りは天気が荒れる。
そして、その里帰りは実施された。
管理責任を全く考えない野沢俊雄は清水家から伝わった弁天も、旧八戸藩主が寄贈した弁天も丸焼けにした。
この里帰りの際も火災に遭わないとは限らなかった。が、無事に浮木寺に戻った。
浮木寺の住職は往時と異なる。寺も神社もヤドカリ生活者だ。
消防の火災原因調査書が開示になれば漏電説も証明されるだろうが、消防は開示をしない。
永遠の謎が残る。
謎という字は言うに迷う、消防の証拠書類の提示がなければ、我々は言い迷わされるだけだ。
行政には事態を解明する責任があるが、それをないがしろにするは情けない。消防署員は缶詰、躯は頑丈だがてっぺんが空いている。
野沢俊雄はここまでにし、次は杜撰な体制で蕪島神社火災を引き起こした消防体制を調べる。


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by jpn-kd | 2018-05-21 08:13 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える12
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える12
蕪島神社にあった弁天これが浮木寺に行った話には、もう一説ある。それは清水屋甚太郎の一族が語り伝えた。

清水家代々の言い伝え(清水のぶ氏八十七才の言にょる)
当神社と関係の深い、清水甚太郎の子孫であり、先祖代々、蕪島
辨財天を守って来られた、清水ノブさん(明治三十三年生)の話によれば、地頭職清水甚太郎が、伊勢詣りに出かけ帰途京都に立ち寄り、或る有名な仏師に極彩色の八臂の辨財天を作らせ、浦賀から船で鮫浦に着き、蕪島に勧請して祀り、多くの崇敬者がありました。やがて明治の神仏分離令が出され、八戸藩から佐川為教、他に林某が立ち合い、辨財天を杖でつついて、「これは神ではない、仏だ。」と云い、これに乱暴されたので、清水家にうつし、床下のオドシにかくまつたのです。その後京都の仏師に依頼して修理し、家に安置しておりました。ところが、浮木寺の住職千葉量光氏が、再三清水家に足を運び、「この辨財天を多くの人々の拝む対象にはしない、……これによつて金儲けはしない。」と云う固い約束をして、清水家から借り受け、そして寺の山門に安置して祀つたのです。
ここらの話は野沢俊雄と舘一族の是川中央保育園が、いつの間にか、こどもの城保育園に変わったように、立場の違いで言い分がことなるが、誰しもどっちが間違っているかは、押して知るべしで憶測、推測は真実とさほど違いはないものだ。

さて、野沢俊雄の管理が悪く、弁天さんを焼失した。これは厳然たる事実で、天下の宝物をむざむざ焼いた責任をどうとるつもりか。
やどかり人生は野沢個人の問題だ。蕪島神社は多くの人の心のよりどころだ。大罪を犯したという意識はないのかね。
投書にもあったように、火災保険の加入の有無、その補償額は? 幾ら足らずに寄付を願うのか、ここを明確に出来る書類がある。それは消防の、
① 火災調査報告書
② 実況見分調書
③ 質問調書
④ 火災原因判定書
⑤ 損害調査書

この⑤を開示すれば、その全貌が明らかになる。
ところが、消防はこれを開示しない

その野沢が明らかにしないカネの流れは氏子になれば会計書類を見ることで解決する。
が、氏子になってまで野沢のカネを追求する気がない。だから、内部告発を待つと記した。
野沢には知恵がない。困窮したときこそ生きる知恵が出る。学校で教わるのは知識で生きるためにはほとんど役に立たない。
野沢にはなかったが、江戸時代の宮司清水屋甚太郎には智恵があった。それが富くじだった。現今の時代、もっと面白く楽しく市民がこぞって参加したくなるようなカネの集め方がある。が、野沢に教える気はさらさらない。本当に困らないから智恵がでない。前のヤドカリを追い出し自分が入り込むことしか考えない智恵のない男に加担しなければならない義理はない。
さて、野沢がむざむざ焼いた弁天は、やはり清水屋甚太郎一族の所有していた貴重なものだった。それを記す。
浮木寺に渡ったのとは別に清水家に昔から代々祀られてあった辨財天が、もう一体ありました。これは、鎌倉時代、工藤祐経が頼朝公に従って寺社奉行をしていた当時、江の島の辨財天を作った同じ仏師に依頼し、それを模作して、工藤家で祀っていたのですが、祐経の死後、祐時が大切にお供をし、下って来て鮫浦に住み、此の辨財天を代々受け継いで、祀っていたのです。そして、海が時化で島に渡れない時、家で祭りをしたり、御祈禱をしていたのですが、蕪島には神仏分離以来、辨財天の御神像が無くなっこの御神像は座像で、高さ十六㌢、台座十九㌢、元来精巧な八臂の像で、極彩色をほどこしてあります。只、永い年月を経て、右腕が一本無く、色もあせ、模様もはつきりみえない所があります。王冠と光背は黄金色で 細かい細工が施されてあります。
厨子の高さは四十三•五㌢、巾二十ー㌢奥行十九㌢、黒の漆塗りで、扉には、四枚にそれぞれ立派な「扉絵」が精巧な極彩色で描かれてあつたと思われますが、今は色あせて見えない所もあります。
製作、勧請年代は記録されてありませんが、この棟札に、代参が行われた時からとありますから、清水家では宝永六年(約二七六年前)あたりから祀つてあつたと思われます。仏像に詳しい文化財審議委員の方々の話にょれば、この「扉絵」等から推定して、江戸時代以前(約四百年以前)に勧請されたものと考えられる、と言っておられます。
この辨財天御遷座の時の様子が、昭和七年頃、鮫青年団鮫支部発行の「鮫の土産話」の中に、次の様に述べられてあります。
「……浮木寺へ交渉し再び辨財天を蕪島へ貰ひ迎へやうと再三懇願致しましたがそれが遂に容れられませんでした、然るに大正四年に至り八戸藩主の御内神である辨財天の尊像が故あって鮫の旧家清水家に賜はりあるを聞き同家に乞ふて其年十一月盛大に遷座式を行ひ漸く蕪島に辨財天を安置して信者の渴仰を醫する事が出来ました、其の尊像は小なりと雖も往昔の美術の粋を極めたもので今鎮座しある辨財天こそ即ちそれであります。」
又、音喜多富寿先生が発行された「かぶ島の話」の中に、次の様に述べられてあります。
「御堂の横手に辨天さまがもう一つ奉祀されてゐるがこれは元藩主の内神として祀られてあつたのをさきの別當で社守をしてゐた清水屋甚太郎が請ひうけ内神として祀り風波で島へ渡れぬときはこの家で祈禱したり祭つたりしてゐたのを大正四年にかぶ島へ安置したものであると云ふ。」
これを野沢が管理不十分で焼失、その責任をどうとるつもりか。焼けたご神体を一度遷座し再建の道筋をつけなければ新しい社をつくることは叶わない。これは神道をかじったものの常識だが、野沢はそれをしなかった。此奴は資質に欠ける。


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by jpn-kd | 2018-05-20 12:00 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える11
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える11
野沢にいかに知恵がないか、図書館所蔵の「蕪島神社」これを見てみると、蕪島神社は火災もあれば風で壊れたこともある。
都度、宮司が骨を折っている
享保19(1734)年3月3日堂宇が破損。
本寿寺より蕪島神体修復、及び堂宇再建の希望に付き、勧化を許可す、と八戸藩の達しがあった。
再建の勧化(募金をすること)、が本寿寺(八戸東高校隣)によって行われた。
ここで、智恵のある男が出た。野沢と違うのが当時の宮司の清水甚太郎。
元文2年(一七三七)、辨天堂を再建するので、白銀村で富付(宝くじ)を実施。
別当清水甚太郎に智恵があった。
野沢のように愚脳市長小林にすがろうなんていうケチな根性の持ち主じゃない。

一応、八戸藩に伺いを立てた。
愚脳市長小林と同じように、カネは出せない、税金を一神社に投入はできないと断ったと同じで、藩は時節柄財政難でむずかしいから寄付を集めて建立せよ、その代り材木はお上から下さる。
ところが甚太郎は野沢と違う知恵者だ。
「又々別当願ひ出申し候は」どうも今年は不景気で寄付ばかりでは何んとも心細い次第です、ですから富付を行って建立仕りたいと存じます。もっとも、寄付を頂く事も両方共御許し下さるように、と申し上げた。結局「願ひの通り申し渡し候様」、と言うことになり、別当甚太郎が大いにカを尽したと言う訳です。それから十ー月十ニ日、白銀村三島で富付が行われたのです。始めての事ですから地方の町々•在々から見物人が大勢集り代官や警固の足軽まで遣わされて、お祭り騒ぎのような中に首尾よく終った。その成果は、寄せ金三拾六貫文余りだったと言うことで、これが辨天堂改築に、大きな財源となった。
又くじが当ってほうびを頂いた人も三人あった


○ところが、今度は蕪島神社から出火だ。
(一七八〇)年安永九年八月二十四日、蕪島辨天堂に八戸の船頭久吉と言う者外数名が、前の晩からおこもりをし、五つ時(朝の八時頃)まで居て、その人達が引き取った後、見回りをして帰ったと言うのですが、その後昼頃火事になった。この事で甚太郎が殿様から責任をとらせられ、三日間の戸〆 (藩政時代庶民に科した正刑でない刑罰、犯罪者の門を釘づけにし謹慎させる。)と言う書付を以つて申し渡された。
野沢俊雄は何の咎めもない。
この頃、蕪島は陸続きではない。文字通りの島だけに焼けたら最後、丸焼けだ。
天明の頃は天候が悪く、不作でケガジの年が多い中に、辨天堂が全焼したのですから大変。それでも何んとかして今年造立したい。と言うので地元から再建願いが八戸藩に出された。それは、再建に使用する木材五百石分の沖の口(藩に納める金。税金。)は免じて頃きたい。又船からの相対勧化(相方の話し合で寄付を頂くこと。)を許可して欲しい。堂宇再建用に、前から用意していた木材を使いたい。
これに対して八戸藩では、この堂宇を造立する分の木材はお上から下さる。港に入って来る船からの御寄付は最近景気が悪いので、それは難しいだろうから、お上の方が金三両御寄附をする、一般からの募金も許可する。用意してある材料は使用してもよい。早く再建するように、と言う。
安永九年八月、社殿が全焼し、翌年の天明元年に堂宇が落成し、遷宮式が挙行され、それから二年後に御神像が出来上り、天明三年六月九日、蕪島辨天堂の別当正宋山本寿寺の第九世が、導師となり新しい辨財天の開眼式が行わた。
これが、浮木寺にある弁天だ。

何故、蕪島にあった弁天が浮木寺に行ったのか、それは廃仏毀釈だ。
日本民族の興隆は、大和魂の涵養にあり、敬神愛国の至誠に基く、この主旨により、邪神濫祠の淘汰せられる事となり、明治四年の発令は同七年に至り、当地方一斉に神社仏閣の検査になりました。辨財天は、神に非ざるなり、神社に於て祭祀の形体なり。かかる変形の神は濫祠として破棄すべし。として腕六本を切り落とし且つ御神体を海中に投げ入れました。
時の浮木寺住職、千葉量光氏は之を聞くや、直ちに漁船を□せて、漂い流れる御神体を拾い集めて、修理を加え、当時浮木寺に安置。

それにつけても、役人とは妙なことを平気でするもんだ。この一件もそうだが、戦争当時は役人が徴兵を行い、色々と権限を行使しそれがもとで恨まれる話を松本清張が書いていた。恐ろしいのは役人に権限とキチガイに刃物だ。
八戸市の役人に言わせれば、小川にブログと付け足したいところだろう。
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by jpn-kd | 2018-05-19 00:00 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生の野沢俊雄を考える10 余聞
ヤドカリ人生の野沢俊雄を考える10 余聞
櫛引八幡宮国宝盗難事件

神奈川県横浜市生まれの主犯犯A(38)が、宮城刑務所を出所した足で八幡宮に来たのは昭和十五年五月二十二日だった。同房者から黄金のついた鎧があると聞き、参拝者を装って宝物殿の下見にきた。前科八犯のAはこの道のプロで、東京で合いカギをつくったあと、再び、八戸に舞い戻った。地元の大工に頼み、大きな木箱を作ったあと、盗品を運ぶリヤカーも盗み、準備は完了した。
犯行は同年六月三日午前零時過ぎで、春の嵐が吹き荒れた。国宝二点、重文三点、日本刀二振などごっそり盗んだAはそれらをカマスに入れ、木箱をリヤ力—で八戸駅(現本八戸駅)まで運んだ。駅から送ったあと、本人も東京へ。しかし、あちこちの古物商や骨董屋に盗品をさばこうとしたが、あまりにも有名すぎた国宝の買い手はつかなかつた。
そこでAは刑務所仲間の岩手県黒沢尻で骨董屋を営むBを訪ねた。Bの眼力は確かだったが、処分できるほどの安物ではなかった。
Bが八幡宮の宮司を訪ねたのは七月九日だった。「あなたのたの所の宝物が売りに出されているが…」 Bは謝礼のいくらかにありっけるとタカをくくっていたようだ。捜査が開始された。盗まれた鎧などはBが保管していた。しかし赤糸おどしの吹返やくわがたなどは紛失していた。
Aが捜査線上に浮かんだのは手口の大胆さとBと刑務所で一猪だったことからだった。東京都内の友達の家で逮捕されたAは八戸に護送されたあと、本格的な取り調べがった。当時を知る八戸市売市下久根の白鳥正雄(81)さんの話だと「田舎の警察につかまったのがくやしい」と涙ながらに啖呵を切ったという。
Aは、吹返などは東京荒川放水路に投げたと自供した。捜索は困難を極めた。吹返、くわがた台、くわがたなどは発見されたが、日本刀一振はついにみっからなかった。
この事件は昭和十二年に名古屋のシャチホコから金を削り取った盗難事件と並び、当時世間をにぎわせたものだった。
消防本部からの文書開示を待つ間の、幕間話だ。
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by jpn-kd | 2018-05-17 00:00 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える9
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える9
平成12年から民間でも建築確認ができるようになったが、どうも野沢俊雄は建築確認の届けはだしていないようだ。八戸市役所には届けていない。これは罰金100万円対象。
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それでは、蕪島神社の建築確認はどうなっているのか、それには蕪島神社の記録があり、図面が掲載されている。
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昭和50年に新築されたが、その前はかなり荒れた状態だ。
先人が努力しすこしずつ整備し現今を迎えた。昭和50年の建築確認は出ている。
その平面図がこれで、焼失前の図面と違っている。つまり増築、改築をしているが、届けは出ていない。
これは野沢が来る前の話で、いささかも野沢は関与していない。つまり、他のやどかりが努めていた。
ここで妙なことに気づいた。消防は昭和50年の建築確認も把握していない。これは把握しなければならないことになっている。
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更に、蕪島神社焼失は八戸圏域消防の人災である。
何故、妙な結論に行き着いたか?

野沢俊雄の管理不十分も焼失の半分の責任はある。残りの半分は消防が40年も査察に入っていないことが原因だ。
小学校、幼稚園、保育園には定期的に査察に入り、その記録もある。
が、蕪島には一度も消防設確認に行っていない。
違反があれば指摘しなければならない。ところが違反かどうかも見に行かない。これは明らかに消防の失態だ。
査察記録は作成しなければならないが、行ってないので当然記録は無い。
消防本部予防課は適切な指示が出せない。
何故、やる気がないからだ。
119入電、火事ですか救急ですかと問う、そして現場に急行、この繰り返しで根本の火事を未然に防ぐを失念しているのだ。
だからこそ、起こるべくして蕪島神社は焼失したのだ。
昨日の記事でも、野沢は増改築を届けていない。火災発生は増築の台所付近との噂が聞こえる。野沢が改築したのか、そうではないのかは消防の記録を見なければ判らぬが、その部分を消防は見せない。
開示することにより野沢に不利益を被らせるおそれありとの判断が働く。
しかし、八戸市役所をあげて応援する、しかし、政教分離の建前からカネは出せないと議会で明言。
すると他人の懐をあてにする野沢としては肩すかし、そこで全国に寄付、募金を集めた。それは現在も進行中だ。
つまり、消防が野沢に不利益だということを、逆手にとって野沢は募金行為を進行中、なれば、こうした原因で火災が発生したと世間に知らしめることこそ、野沢の望むところではないか。
それを消防は拒否だ。これほど惨めだというアッピールこそ、募金を集める最大の原動力となる。また、消防は以下の文書を所有。
① 火災調査報告書
② 実況見分調書
③ 質問調書
④ 火災原因判定書
⑤ 損害調査書

マスコミが開示請求したのは①、俗にカガミという部分だ。
本質は②以下に存在する。だから、原因不明としか報道できなかった。
が、消防はこれらを不開示だと力んでいるが、不開示には二つの意味あり。
それはその書類自体がない、あるけど見せないの二つだ。
消防本部の処分決定に行政不服を唱えた者はいない。
ところが、死に損ないの小川はそれを要求。
当然、こうした流れになることを予定しない消防はオタオタの繰り返しだ。行政の手続きは法により粛々と行われる。
その手順を行政である広域事務組合の消防本部が知らないは、物知らずを露呈した。


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by jpn-kd | 2018-05-15 00:00 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える8
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える8
こんな記事も見つけた。
野沢俊雄がいかに他人の財布をあてにしているかの証拠だ。
所詮、やどかり人生、カネは天下の回り物、自分の物は自分のもの、他人の物も自分のもの、このくらいの精神がないと、宮司なんてのは務まらないぞよ。


2002(平成14)年10月30日
デーリー東北
八戸港一望、新スポットに
蕪島神社が休憩所
授与所を改築
来月中旬完成
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「神社でゆっくりく つろいで」—。新幹線八戸駅開業を前に八戸市鮫町の蕪嶋神社は、観光客が一息つけるようにと休憩所の建設を進めている。11月中旬に完成の5A戸港を一望
できる休憩所で、八戸の新スポットとなりそうだ。
休憩所は従来のお守りなどを置く授与所を改築。拝殿脇にも参拝者の控室を設置する。完成後はお茶や神社オリジナルの菓子で参拝者をもてなす。
ウミネコの繁殖地で全国的に有名な蕪島だが、シーズン以外に訪れ、がっかりする観光客もいることから休憩所でウミネコの映像を流す予定だ。
「当神社には個人や家族連れなど小人数の観光客が多いが、これまで休息できるスぺースがなかった」と野沢宮司。九月から準備を進めてきた。「海を見ながら心を癒やす場所になれば。きらびやかではなくても、心のこもったおもてなしをしたい」と張り切っている。
このほかにも開業を機に神社の整備を進める予定で、かつて陸地と離れていたころの蕪島の面影を伝えるため、鳥居の下に小さな橋を架ける計画もあるという。野沢宮司は「賛同、協力してくれる方は連絡してほしい」と話している。

2007(平成19)年12月29日
デーリー東北
明るく楽しい新年を
八戸・蕪島で初のカウントダウンフェス
神社の宮司企画「町おこし」夢実現へ
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ウミネコの飛来地として知られる八戸市の蕪島。地域を代表する観光地で大みそかの夜、初めてのカウントダウンフヱスティバルが行われる。
花火とともに明るい雰囲気で新年を迎えるイべントは、街に活気を呼ぶ新たな試みとして話題を集めそうだ。
企画したのは、蕪嶋神社の野澤俊雄宮司。数年前から感じていた「何か町おこしになることをしたい」との夢を実現させた。
元日の蕪嶋神社には毎年、大勢の参拝客が訪れる。初日の出を目当てに集まる若者も少なくない。せっかく神社に来てくれた市民にもっと楽しんでもらおうと思ったのがきっかけ。
スター卜の年に2008年を選んだのは、12支の始まりの子(ね)年がふさわしいとの理由からだ。
打ち上げ花火とともに読み上げる「愛のメッセージ」、みこし会による木やり、地元歌手のステージなど、新年気分を盛り上げるさまざまなイベントが用意されている。
最も苦労したのは資金の問題だった。「昇運祈願の干支花火」と銘打ち、子年生まれの市民から協賛金を募っているが、費用の大半を神社が負担する。それでも「神社は住民の心のよりどころ。明るい話題を発信していかなくては」と開催に踏み切った。
野澤宮同は「行事が続き、冬の風物詩になれば」と期待を込める。
フェスティバルは31日午後十一時半から。メッセージや協賛金の申し込み、問い合わせは、蕪嶋神社奉賛会=電話0178(34) 2730へ。
うーん、立派なもんだが、野沢俊雄の頭には新築、増築は市役所の建築指導課に届けを出さなくてはいけない。
建築基準法第99条1号では、第6条第1項の規定に違反した者は、1年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処するとある。野沢はこれに該当するのか? 燃えたら不問か?
運がいいのか悪運が強いのか?



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by jpn-kd | 2018-05-14 00:00 | 蕪島神社焼失事件
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える7
ヤドカリ人生野沢俊雄を考える7
こんな記事がある。
デーリー東北、2014(平成26)年11月5日
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田面木保育園全焼
八戸 未明出火、けが人なし
4日午前四時ごろ、八戸市田面木赤坂、社会福祉法人愛育福祉会田面木保育園(舘ヨイ園長)から出火、鉄骨平屋の園舎約500平米を全焼し、約二時間半後に鎮火した。出火当時、園内に人はおらず、けが人はなかった。八戸署などが原因を調べている。

現場は閑静な住宅街。同署によると、午前4時4分ごろ、園舎から炎が上がっていることに気付いた八戸市内の新聞配達員男性が11〇番通報した。周囲への延焼はなかった。
八戸消防本部によると、現場には消防車両13台が出動し、消火活動に当たった。火が強<燃えた理由として「深夜から朝方にかけての火災で発見が遅れ、無人だったために初期消火もできなかった」との見方を示した。
青森地方気象台によると、同日未明の八戸地方は時折強い風が吹き、午前5時7分には最大瞬間風速24. 32米を観測していた。
通報した男性は「仕事を終えて販売店で休んでいたら、うつすらオレンジ色の光が見えた。『火事だ』と駆け込んで<る人がいて、急いで坂を駆け上がりながら通報した」と語った。消火活動を心配そうに見守っていた近<の女性は「何かがはじけるような音がして目が覚めた。高く火が上がっていて驚いたが犧牲者が出なかったのは良かった」と話した。
勘のいい人はおわかりだろうが、舘さんは野沢俊雄に是川中央保育園の理事をさせた。
それがいつの間にか理事長になり、保育園名をこどもの城保育園と変えた。
野沢に保育園の道筋をつけた、気のいい館さん経営の保育園が燃えた。
野沢の蕪島神社も火事になる、それは一年後の同じ月、同じ日だ。うーん、因縁かね。
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この火災原因を消防本部予防課に問い合わせたところ、調べてみないと判らないという。火災原因別にデジタル処理をしていないのかね。消防本部は利口の足りないのが多い。
さて、曰く因縁のある是川中央保育園、野沢に乗っ取られたという人物もいる。立場の違いでは、そう言う意見もあることだろう。


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by jpn-kd | 2018-05-13 00:00 | 蕪島神社焼失事件


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