2018年 09月 09日 ( 4 )
大坂なおみ選手の祖父 大坂鉄夫さん「うれしくて涙」
大坂なおみ選手の祖父 大坂鉄夫さん「うれしくて涙」

2018年9月9日 10時18分

テニスの四大大会最終戦、全米オープンで初優勝を果たした大坂なおみ選手の祖父で、北海道根室市の大坂鉄夫さん(73)は自宅前で報道陣の取材に応じました。

鉄夫さんは、大坂選手の試合を自宅でテレビ観戦していたということで、「孫が世界一になった実感がまだわかず、興奮しています。優勝の瞬間は家にいた妻たちと一緒になって喜びました。うれしくて涙が出ました」と孫が成し遂げた快挙を喜びました。

そのうえで「これからもケガのないようにさらに活躍してほしい。東京オリンピックでも優勝してほしいですね」と今後の活躍に期待していました。
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by jpn-kd | 2018-09-09 17:04 | NEWS
大坂なおみ選手「全米オープン優勝 まだ現実と思えない」
大坂なおみ選手「全米オープン優勝 まだ現実と思えない」

2018年9月9日 12時31分

四大大会のシングルスで日本選手初の優勝を果たした大坂なおみ選手は、試合後の記者会見で「全米オープンで優勝したことがまだ現実のことと思えない。ほかの大会のようで、今の気持ちをなんといえばよいかわからない。試合後のセレモニーの時もいろいろな感情が起こりすぎて、どれがどの感情か仕分けなければいけないくらいだった」と素直な思いを述べました。

そして決勝で自身が憧れてきた元世界女王、セリーナ・ウィリアムズ選手との決勝について「彼女はとてもいいリターンを持つ選手だったので、きょうの試合ではサーブが重要だったと思う」と振り返りました。

そして第2セットでウィリアムズ選手が警告を受け、第8ゲームが大坂選手に与えられた時のことについては「観客の声が大きくて、なにも聞こえなかったし何が起こっているのかわからなかった。1ゲームを与えられて、少し困惑したけれど、すばらしいチャンピオンと対戦しているのだから試合に集中しないといけない、彼女はポイントを取り戻しに来ると思っていた」と振り返りました。

ウィリアムズ選手についての話の中では、涙を見せながら「コートではファンではなく1人のテニスプレーヤーとして対戦したけれど、抱きしめられた時には憧れていた幼い頃の気持ちに戻ってしまった」と話しました。

そして夢だった四大大会優勝を果たしたあとの新たな夢について聞かれると「このあと東京で行われるツアー大会に出るので、そこで優勝できたらいいなと思う。あまり先のことは考えず、そのときどきの階段を1つずつのぼっていきたい」と笑顔で語りました。
強化本部長「言葉が見つからないくらいすごいこと」
全米オープンの会場で大坂なおみ選手の決勝を見守った日本テニス協会の土橋登志久強化本部長は「言葉が見つからないくらいすごいことだと思っている。彼女の頑張りが日本のテニスの素晴らしさを伝えてくれるという大きな意味があると思うし、日本の子どもたちにも夢を与えることができると思う。テニス以外にも影響が波及する大きな出来事だと思う」と話しました。

決勝での大坂選手のプレーについては「相手のセリーナ・ウィリアムズ選手に緊張感やイライラした感情を与えることができていた。最初から最後まで集中し、テニスの質が上回っていたと思う」と話していました。

今シーズンの大坂選手のここまでの戦いぶりについては「決して自分が満足いくような結果の時期ばかりではなかったと思う。それを大坂選手のチームが一丸となってうまく道を開いていった。大坂選手の努力もすばらしいがチーム全体でつかんだ勝利だと思うし、それがなければここまでくることはできなかったと思う」と話しました。

そして大坂選手が2年後の東京オリンピック出場を目指していることについて「今後も四大大会やツアー大会の頂点を目指してほしいと思っているし、東京オリンピックで金メダルをとってもらえたら、それ以上にうれしいことはない」と話していました。

また4年前のこの大会で男子シングルスの錦織圭選手が決勝に進んだことについて触れ「大坂選手の活躍に間違いなく影響していると思う。錦織選手の四大大会準優勝で日本選手の誰もが自分にもチャンスがあるのではと感じ、男子選手も強くなったし大坂選手も成長した」と話していました。
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by jpn-kd | 2018-09-09 17:00 | NEWS
テニス全米オープン女子 大坂が優勝 男女通じ日本選手初
テニス全米オープン女子 大坂が優勝 男女通じ日本選手初

2018年9月9日 7時52分

テニスの四大大会最終戦、全米オープンは8日、女子シングルスの決勝が行われ、大坂なおみ選手がアメリカのセリーナ・ウィリアムズ選手にセットカウント2対0で勝って優勝を果たしました。四大大会のシングルスで日本選手が優勝するのは、男女を通じて初めてです。

世界ランキング19位、20歳の大坂選手は準決勝までの6試合で5試合をストレート勝ちして決勝に進みました。

決勝では元世界1位で、ことしのウィンブルドン選手権で準優勝のセリーナ・ウィリアムズ選手と対戦しました。

大坂選手は第1セット、安定したプレーでポイントを重ねる一方、ウィリアムズ選手にはミスが多く、このセットを6-2で取りました。

続く第2セットではサービスゲームを先に相手にブレークされましたが、大坂選手も、その後、ウィリアムズ選手のサービスゲームをブレークし、最後は6-4でこのセットを奪いました。

大坂選手はセットカウント2対0でウィリアムズ選手を破り、優勝を果たしました。

四大大会のシングルスで日本選手が優勝するのは、男女を通じて初めてです。
大坂選手「セリーナ選手と戦うのが夢だった」
初優勝を果たした大坂なおみ選手は、表彰式でのインタビューで「全米オープンの決勝でセリーナ・ウィリアムズ選手と戦うのが私の夢でした。その夢がかなって本当にうれしいです」と話しました。

そしてみずからを支えてくれた両親について「母は、これまで私のためにたくさん犠牲を払ってくれました。試合は、あまり見にこないのですが、きょうは、見に来てくれて本当にうれしいです。父は私の試合を見るとそわそわしてしまい、きょうも会場に来ていませんが、これから会おうと思います」と話していました。
大坂なおみ選手 パワーテニスが持ち味
大坂なおみ選手は20歳。

ハイチ出身の父と日本人の母を持ち、大阪市で生まれ、3歳からアメリカに移り住みました。

5年前にプロに転向し、身長1メートル80センチの体格を生かした時速200キロ近い高速サーブや力強いストロークなどパワーテニスが持ち味です。

女子ツアーに本格的に出場し始めた1年目のおととし、東京でのツアー大会で準優勝し、その年、女子ツアーで最優秀新人賞にあたる賞に日本女子で初めて選ばれるなど活躍が期待されてきました。

ことし3月には四大大会に次ぐ格付けの女子ツアーの大会で日本選手として初の優勝をつかみました。

四大大会では、ことし1月の全豪オープンで四大大会初のベスト16に入り、続く2大会でも3回戦進出を果たしていました。
セリーナ・ウィリアムズ選手 大坂選手の憧れ
アメリカのセリーナ・ウィリアムズ選手は、36歳。

元世界ランキング1位で四大大会で歴代最多の23回の優勝を誇ります。

ウィリアムズ選手は元世界1位で1歳上の姉のビーナス・ウィリアムズ選手と共に、男子選手並みの力強いサーブなどパワフルなプレースタイルで女子テニス界で長くトップ選手として活躍し、去年1月の全豪オープンで四大大会で通算23回目の優勝を果たし、プロが参加できるようになったオープン化以降の歴代最多記録を更新しました。

ウィリアムズ選手はその後はツアーに参加せず、去年9月に娘を出産し、ことし3月、アメリカ カリフォルニア州で行われたツアー大会でおよそ1年2か月ぶりにツアーに復帰して3回戦で姉のウィリアムズ選手にストレートで敗れました。

その次に出場したアメリカ フロリダ州で行われたツアー大会では、初戦で大坂なおみ選手にストレートで敗れています。

その後は元世界女王の強さを示して、復帰後最初の四大大会となる全仏オープンで4回戦進出、続く四大大会、ウィンブルドン選手権では準優勝を果たしていました。

大坂選手は自身が最も憧れて育った選手としてセリーナ・ウィリアムズ選手をあげ、幼い頃から四大大会の決勝で対戦することを夢見てきました。
サーシャ・バジンコーチ 大坂選手に精神面の成長促す
大坂なおみ選手を今シーズンから指導するドイツ人のサーシャ・バジンコーチは、元世界女王のセリーナ・ウィリアムズ選手やキャロライン・ウォズニアッキ選手など、世界のトップ選手の練習相手を長年にわたって務めてきました。

バジンコーチは去年11月、大坂選手のコーチを務めることになり、大坂選手の憧れのウィリアムズ選手などがどのような練習を行い、試合前にはどう過ごしていたかなど積極的に伝えてきました。

バジンコーチはシーズン中はフォームの変更など技術的な指導はほとんど行なわず、今シーズンは大坂選手の敗因となっていたミスを減らすために、すべてのボールを強く打つのではなく「我慢」してラリーを続け、攻撃のチャンスを待つことや、完璧主義の大坂選手が試合中、ネガティブな思考に陥らないよう、常にプラスになる言葉をかけて前向きな考えを持つよう、精神面での成長を促す指導を行ってきました。

さらにフットワークや体幹の強化が必要だと考え、専属トレーナーのアブドゥル・シラー氏とともに大坂選手がこれまでに取り組んできたことのない連続的な筋力トレーニングを下半身を中心に行うなどしてきました。

また大坂選手が今シーズン、練習が楽しくなったと話しているようにバジンコーチは、大坂選手と一緒にサーブやストロークの練習をしながら自身も同じ練習を行い、ショットにミスが出た場合は互いに罰を科し合うなどして練習に集中して取り組めるようさまざまな工夫を行ってきました。
四大大会と日本選手
テニスの四大大会のシングルスで日本選手がついに頂点の座をつかみました。

四大大会は全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、それに全米オープンの4つを指します。

四大大会のシングルスで、日本選手は戦前に活躍した時期があり、1918年、熊谷一弥さんが全米オープンでベスト4に入り、1920年には清水善造さんがウィンブルドン選手権で、1931年から1933年にかけては佐藤次郎さんが、全仏オープン、全豪オープン、それにウィンブルドンで合わせて5回、ベスト4に進出しました。

このあと、日本選手がベスト4に届かない時期が続きましたが、1973年の全豪オープンで沢松和子さんが女子シングルスでベスト4入りすると、伊達公子さんが1994年の全豪オープン、1995年の全仏オープン、それに1996年のウィンブルドン選手権でベスト4に入りました。

このあと、錦織圭選手が2014年の全米オープンで日本選手として初めてシングルスの決勝に進出し、準優勝となりました。

錦織選手はおととし、2016年とことしの全米オープンでもベスト4入りしました。

そして、この全米オープンで大坂選手が日本選手として初めて四大大会のシングルスで優勝しました。
世界メディアも速報
テニスの全米オープンで大坂なおみ選手が初優勝したことを、世界のメディアも速報で伝えました。

このうち、アメリカの新聞、ニューヨークタイムズは「彼女自身のアイドルであるセリーナ・ウィリアムズ選手をやぶって優勝した」と速報するとともに「ウィリアムズ選手と主審の言い争いで台なしにされた試合で、大坂選手は日本人最初の四大大会シングルスのチャンピオンになった」と伝えました。

また、AP通信は「大坂選手は、彼女にとってのアイドルであるウィリアムズ選手が主審を『泥棒』呼ばわりし、怒りを爆発させるなかで、四大大会を制した最初の日本人女子選手となった」と伝えました。
所属先も声援送る「優勝すると信じていた」
テニスの四大大会最終戦の全米オープンの女子シングルスで日本選手として初めて決勝に進んだ大坂なおみ選手を応援しようと、所属する大手食品メーカーの社員が集まって大型スクリーンの前で大坂選手に声援を送りました。

東京 新宿にある大坂選手の所属する大手食品メーカーでは、大坂選手を応援しようと大型スクリーンの前に社員などおよそ150人が集まりました。

集まった人たちは、大坂選手が持ち味の強力なサーブでサービスエースを奪うと大きな歓声をあげ、ピンチになると「頑張れ」と声援を送りました。

大坂選手が第1セットを奪って第2セットに入ると一段と応援に熱が入り、最後、力強いサーブで締めくくって優勝を決めると、クラッカーを鳴らして「なおみ」「なおみ」と連呼して日本選手初の快挙を祝福していました。

35歳の男性は「優勝すると信じていました。歴史が変わった瞬間を見ることができて感動しています。日本のために世界のためにこれからも頑張ってほしい」と興奮気味に話していました。

また、29歳の女性は「四大大会で日本選手が優勝するときが来るなんて夢にも思っていませんでした。20歳とまだ若いので、今後も優勝を重ねていってほしい」と話し、うれしさに涙を浮かべていました。
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by jpn-kd | 2018-09-09 08:21 | NEWS
私の履歴書 出光佐三 本を読まぬが信念の人
私の履歴書 出光佐三 本を読まぬが信念の人
八戸に物持ち金持ちは沢山あれど、どいつもこいつも自分のことしか考えない。
が、中に六日町の松和はすごい。
八戸図書館に松和文庫を寄贈、この本もその寄贈による。過去の人物が眼前に浮かび上がるは文字の力。NHKはあの人に会いたいという映像を持つ。
これがまた素晴らしい。
今回は出光を紹介、昭和シェル石油との合併で創業家と揉めた。株式を上場すれば乗っ取られる。佐三が生きて居れば上場はしない。
なぜ? この佐三ほど軍部、国家からいじめられた者はほかにいない。出光は本を読まず自分の目と耳で情報を収集し分析行動をする。
他に迎合をせず絶えず国のためになるか、油を必要とする者のためになるかを考えた。儲けようと考えない。お役に立つを信念とした。
創業家という言葉で捨てられる。
株式上場は株やの手数料稼ぎの手助けとなり、株の亡者の餌食となる。株価の高下は一時の位、本質は少しも変わらぬが上げ下げの一喜一憂の中に埋没される。くだらぬことだ。
佐三の会社には出勤簿がなかった。
竹中工務店もそうだ。社員を信じずに誰を信ずるのか?
佐三はクビを切らなかった。
戦後のどさくさの話が残る。命綱一本、ふんどし一丁で海軍の油槽タンクのヘドロ廃油をくみ出す。その写真が残る。目と口だけが白く、全身黒づくめだ。
敗戦で仕事がない。社員は仕事を捜した。印刷や農業、漁業、果ては酢まで製造し糊口をしのいだ。
出光には魂があった。
それが上場で消えた。
履歴書のなかに往時をこう記した。
戦争が終わつてその人—が中国、朝鮮、満州、台湾などから千人ほど帰国。そのときの私は外地にあった財産は無一文になり、内地には二百五、六十万の借金が残っているという状態だった。
財産税は納めてないが、それだけの人が帰つてきてどうしようか、社員はクビを切らないということは社是である。しかし重役会の決議で一応全部やめさせて、そのうちから出光再建のために必要な人を何人かとろうじゃないかといってきた。私はそれはいかん、社員のクビは切らないという主義だから、こういうときこそ実行しなければだめだ、といった。ところがこれを聞いた重役連中は、私が気が違ったんじゃないかと思ったらしい。しかし私は、こういう辛苦を重ねてきたこの人たちこそ、必ず将来、なすことのある人だと信じていた。事業はすべて人間が基礎であるという主義でやってきたから一人もクビを切らなかった。そして電気の修繕みたいなことや、海軍の使っていたタンクの底のドロみたいな油をくみ出す仕事までやり、皆が苦労して石油の配給ができるようになるまで頑張った。
偉い男だ。
が、上場は魂の切り売りだった。



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by jpn-kd | 2018-09-09 08:13 | おすすめの一冊


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