ヤドカリ人生の野沢俊雄を考える10 余聞
ヤドカリ人生の野沢俊雄を考える10 余聞
櫛引八幡宮国宝盗難事件

神奈川県横浜市生まれの主犯犯A(38)が、宮城刑務所を出所した足で八幡宮に来たのは昭和十五年五月二十二日だった。同房者から黄金のついた鎧があると聞き、参拝者を装って宝物殿の下見にきた。前科八犯のAはこの道のプロで、東京で合いカギをつくったあと、再び、八戸に舞い戻った。地元の大工に頼み、大きな木箱を作ったあと、盗品を運ぶリヤカーも盗み、準備は完了した。
犯行は同年六月三日午前零時過ぎで、春の嵐が吹き荒れた。国宝二点、重文三点、日本刀二振などごっそり盗んだAはそれらをカマスに入れ、木箱をリヤ力—で八戸駅(現本八戸駅)まで運んだ。駅から送ったあと、本人も東京へ。しかし、あちこちの古物商や骨董屋に盗品をさばこうとしたが、あまりにも有名すぎた国宝の買い手はつかなかつた。
そこでAは刑務所仲間の岩手県黒沢尻で骨董屋を営むBを訪ねた。Bの眼力は確かだったが、処分できるほどの安物ではなかった。
Bが八幡宮の宮司を訪ねたのは七月九日だった。「あなたのたの所の宝物が売りに出されているが…」 Bは謝礼のいくらかにありっけるとタカをくくっていたようだ。捜査が開始された。盗まれた鎧などはBが保管していた。しかし赤糸おどしの吹返やくわがたなどは紛失していた。
Aが捜査線上に浮かんだのは手口の大胆さとBと刑務所で一猪だったことからだった。東京都内の友達の家で逮捕されたAは八戸に護送されたあと、本格的な取り調べがった。当時を知る八戸市売市下久根の白鳥正雄(81)さんの話だと「田舎の警察につかまったのがくやしい」と涙ながらに啖呵を切ったという。
Aは、吹返などは東京荒川放水路に投げたと自供した。捜索は困難を極めた。吹返、くわがた台、くわがたなどは発見されたが、日本刀一振はついにみっからなかった。
この事件は昭和十二年に名古屋のシャチホコから金を削り取った盗難事件と並び、当時世間をにぎわせたものだった。
消防本部からの文書開示を待つ間の、幕間話だ。
[PR]
by jpn-kd | 2018-05-17 00:00 | 蕪島神社焼失事件
<< 市長が読まない市長への手紙のか... 違法看板確信犯 シティハウス ... >>


ブログで行政改革をめざす日本救護団 080-9850-5240
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
メルマガ-まぐまぐ

メルマガ購読・解除


 

カテゴリ
タグ
以前の記事
記事ランキング
検索
楽天
その他のジャンル
画像一覧