沖縄のはなし 前泊博盛 「日米地位協定入門」12
日本はたった一回の敗戦で金玉をなくして米国にへつらった
が、
同じ敗戦国のドイツはめげない
ドイツは第一次世界大戦で敗れ賠償金の重荷にあえぎ、こんな苦労をするならもう一戦やろうと、ヒットラーを担ぎ、第二次世界大戦をひきおこし、またも敗れた
その、ドイツとアメリカとの地位協定はどうなっているのか
ドイツは西と東に分裂させられた
ソ連と米国によってだ
朝鮮と同じ手口だ
列強の都合のいいように世界地図は塗り替えられる
台湾を日本領としたが敗戦で空家となり、そこに毛沢東に追われた蒋介石が住み着く
朝鮮を追われた日本の空家をソ連と米国が38度線を境に分断し、南北朝鮮にし同胞が激しく憎み合った
米国は自身の利益のためになら何でもやる奴ばらだ
二度の敗戦に打ちひしがれ、西ベルリンはソ連の包囲で陸の孤島、空路だけが残りそれを利用し200万西ベルリン市民への補給物資運搬が開始
これがベルリン回廊、
西ベルリンの市民が必要とする食料は1日あたり、小麦および小麦粉646 t、穀類125 t、肉・魚介類109 t、油脂類64 t、乾燥ポテト180 t、乾燥野菜144 t、砂糖85 t、コーヒー11 t、粉乳24 t、イースト3 t、塩38 t、チーズ10 tの合計約1,439 tと見積もられた。また、このほかに市内で消費する燃料の石炭やその他の生活必需品などが1日あたり約3,000 t必要であると見積もり、空輸の最低量は1日4,500 tと設定された。これを満たすために、C-54輸送機が続々と追加派遣され、ベルリン大空輸の主力となった。
空輸体制が完成し、1949年1月になると月間輸送量は171,690 tに達し、1日平均で5,540 tとなった。これは、冬期に暖房のために燃料の石炭使用量が増えることを勘案しても、なお西ベルリン市民の生活を支えるに十分な量であった。
空輸作戦の成功が明白となり、さすがのソ連も封鎖の失敗を認めざるを得なくなった。こうして1949年5月12日に封鎖は解除された。
こうした恩義を西ドイツは受けたが地位協定の改定を求め、駐留する米軍基地の周辺と言えどドイツ国内法に従い飛行禁止区域、低空飛行を禁止させている
日本は西ドイツほどの空輸作戦の恩恵には浴しなかった
というのは、この西ドイツ物資空輸で英米合わせて110人ほどの死者を出した
日本は米国の余剰物資を学校給食等に回し米国から多大な恩恵を受けたような錯覚だが、配給された穀物袋には家畜用と印字されていた
それでも、恩義は恩義だ
が、敗戦国で恩義を受けたドイツは主張すべきはした
これが、人間の魂だ
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by jpn-kd | 2015-09-15 00:09 | 沖縄
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