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コザ暴動をみても、沖縄人はただおとなしいだけじゃない
内面には憤怒をひめている
だれだって、自分たちを虫けらのように扱う奴に反目する
沖縄人も米軍相手にカネが欲しいから、へつらいながらも日々を送った
そのへつらいの原因は売国奴吉田茂が締結した安保条約
その根底にあるのが日米地位協定
これを前泊博盛が懇切に解説した
いかに、日本人を愚弄した植民地的協定であることか
そして、敗戦を理由に沖縄に進駐し、いまだに居座る
それに、何度も沖縄人は抵抗をしめした
コザ暴動がその偶発的暴力の頂点だった
米軍が機銃で暴徒を殺せば国際問題になる
だから、
米兵は耐えるしかなかった
沖縄人の血は濃い
その証拠がある
200万B円強奪事件
1953(昭和28)年7月、ピストルを使った「米軍現金輸送車強盗事件」が人通りの少ない大宜味村大保街道で発生
犯人は4人の若者
当時エリートとみられた三中、名護ハイスクールの出身、奪ったカネはB円で190万円、(当時、教員の平均給与は月五千円)、当時としては大金であった
車も普及してない時代、西部劇さがらの強盗団、ピストルを発砲し外人一人を負傷させた重要事件
綿密な計画
7月2日,新城旭(25)と比嘉康市(23)は名護町の三中の先輩大城茂和(28)の部屋でごろごろしていた
三人は軍作業や軍のトラック運転手の経験あり
長崎からの密輸もたくらむが、船から上陸する寸前に警官に逮捕さる
新城は結婚し二人の子供を抱え三万円の借金あり
比嘉は兄弟多く、母親は他家に再婚し弟は病床、当座のカネがどうしても欲しい
暑い夜だった
新城と比嘉は大城の家を出て午後九時、近くの小学校の校庭に夕涼みに行く
「奥間ビーチは給料前だからピストルがあれば、現金輸送車を待ち伏せして強盗できる」と語り合う
二人は以前、奥間ビーチに軍作業員として働いたことがある
そこは従業員三百人、給料日は目前である
給料を瑞慶覧のアメリカンエキスプレス銀行から受け取り、国頭まで運ぶ、その途中で強奪するのだ
比嘉がピストルを用意する
比嘉は今帰仁村出身の平田文一がピストルを持っていることを知っていた
比嘉は今帰仁村の仲根敏男(23)を仲間に誘う
強盗結構日は7月6日
場所はカーブの多い大宜味村の大保坂、手段は大石を道の真ん中に置いて、運転手が片付ける隙に三人で運転手を縛り上げ、久志村の山奥に置き去りにするというもの
いよいよ沖縄人の度胸の良さが示される
ただおとなしいだけじゃないぞ
沖縄人は
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