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瀬長の那覇市長選当選を米軍はどう見ていたのだろう。
米軍文書からそれを見る。
1956年12月26日
ダレス国務長官宛て
発信者在沖米国総領事ジョン・M・スティーブズ
瀬長の主な勝因は次の通り
①軍用地収用計画に対する瀬長の強い反対姿勢を選挙民は支持した
②反當間の一部は瀬長へ投票したか棄権
③瀬長が公約した日本復帰、減税、主席公選への支持
④対立候補の選挙戦の拙さ
瀬長の那覇市長としての立場は過激な反米宣伝や琉球における米国の立場を揺さぶる新たな「武器」を与えた
ここからもわかるように、米軍にとって瀬長は蛇蝎であった。
蛇に羽をつけ、蠍を巨大化したと怖れた
何故瀬長が怖かったのか
それは権力に歯向かい、正々堂々の論陣を張る
米軍は難癖をつけ、瀬長を刑務所に入れる
が、
そんなことで挫けない
琉球人が瀬長を推す
瀬長の主張に共感した
奪った土地を返せ、我々は日本に帰属する
分かりやすい主張に琉球人はしびれた
瀬長の刑務所からの帰還には県民がこぞって迎えた
見栄橋広場は人であふれた
瀬長の演説に人々は酔いしれた
芸人の話し方とは違う、それでも人々は瀬長の登場を待ち焦がれる
それは、人々の魂の叫びを瀬長が代弁するからだ
琉球人は現状を耐えられなかった
米軍圧政を心の底から嫌悪したのだ
沖縄を返せ、我々は日本人だ
日本に帰属することを望む
米軍は出て行けと懇望したのだ
その瀬長那覇市長誕生に米軍は資本を押さえる琉球銀行から那覇市への資金貸し出しを止めた
兵糧攻めにする作戦だ
が、那覇市民が瀬長を支援する奇跡が生じた
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