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米軍は住民をテント生活させ、その間に家を引き倒し、田畑をブルドーザーで潰し飛行場や道路にした
淡路島の二倍の面積でしかない沖縄本島、その狭隘な地で先祖伝来の田畑を奪われ、どうやって食っていけるのか
戦争には負けた、ただ一回だけだ
負けたから、再び立ち上がれないと思うのはあなどりでしかない
沖縄人は正面切って戦わないが、民主主義を標榜するアメリカがそんなひどいことはしないと信じた
が、信じた者がバカを見る
敗戦に乗じアメリカは軍政を布(し)く
日本から沖縄だけを軍政にしたのではない
日本本土もアメリカ軍政下におかれた
が、政府を解体しなかった
しかし、沖縄は全てを認めない
そして、打ち出したのが民主主義をよそおう傀儡政権の樹立だ
沖縄同様に敗戦で盗られたのが北方領土
国後、択捉、歯舞、色丹だ
これらをソ連が奪い、住民を叩き出した
北方四島の面積は5036平方キロ
沖縄の面積は2271平方キロ
北方領土は倍も大きい
その当時の人口は17291人
沖縄の当時の人口は80万人
40倍も沖縄人が居住
アメリカも沖縄人を九州に押し出せばよかった
そうすれば、核でもオスプレイでも気兼ねなく持ち込める
ここにアメリカの誤算があった
沖縄人を追い出さずにエライ目に遇う
傀儡政権、日本が満州でやったと同じことをアメリカは沖縄でやり、煮え湯を飲まされる
その中心が瀬長亀次郎だ
翁長雄志と瀬長
一字違いは大違い
ハケに毛があり、はげに毛がなし
オナガはペテン師、できないことをいかにも出来るように吹聴する、セナガは理論家で実践を得手とする
1945年8月、戦闘終結が近づくにつれ、軍政は「戦闘」から「駐留」の段階に移る。
米軍政府は、民主主義を装うために、安定的な中央統治機構の整備のためと称し、沖縄本島住民代表で構成する諮問機関設置を急ぐ。
ポツダム宣言受諾により日本の無条件降伏が決定した1945年8月15日、米軍政府は、全島39カ所の収容地区住民代表124名からなる仮沖縄人「 諮詢会(しじゅんかい)」を招集し、その中から沖縄諮詢会候補者24名を選ぶ。さらに8月20日の選挙で、志喜屋孝信(しきや・こうしん)委員長以下15名の委員が選 出され沖縄諮詢会を設立。
1946(昭和21)年4月24日に「沖縄民政府」へ移行するまでの約8ヶ月間、沖縄諮詢会は米軍政府と住民との橋渡し役として、食糧配給や土地 所有権認定措置法案、戸籍法の整備、旧村への住民移動、教育・公衆衛生、人口調査、初めて婦人参政権を認めて実施した市長および市議会議員選挙など、行政 の基盤となる重要事業に取り組む。
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