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北高校が50周年を迎え、積年の業績を認識するときがきた
往時の八戸高校に入れない連中が、挫折と憤懣をもちながらも独自の校風をつくった
その原動力となったのが演劇
演劇は自分の実人生のほかに、他の人生を演技しながら学ぶ面白さがある
それが演じ手の技倆により観客に伝播する
置かれた境遇境涯のなかで必死にもがきあがく
この辛さ切なさ、そして時折訪れる息抜きの楽しさ
これの繰り返しの中で歳をとり、人生舞台から追い出される
劇団やませは佐々木・大館夫婦の我が身忘れての懸命の努力で稽古場を作った
勿論、全部が借金
それを若さゆえ跳ね除け、妻は銀行を勤め上げ、亭主は「宝島」というビデオレンタルで借金をこなした
その努力を筆者はこの眼で見させてもらった
出来ないことを成し遂げたのが、この夫婦だった
地元に根ざした演劇
小寺教員が北高校で繰り返し述べた言葉だ
それが、劇団やませで根を張った
いくつも民間劇団が勃興
が、消えた
この夫婦の努力を絶やしてはいけない
ところが、切符が売れない
景気後退で観劇人口が減ったこともあろう
しかし、若手に跡を頼む以外に、演劇の火を守ることはできない
すると、佐々木夫婦のやませの稽古場はどうなるのか
やませを法人化し後続の世代に譲り渡すことも考えるべき
つまり、世代交代だ
後続の若手は佐々木夫婦のような身を裂き、爪に火を灯す努力は不要
だが、永続し八戸の文化を守る根性を捨ててはならない
かつて、八戸には幾つものタウン誌があった
それが、経営者の加齢により廃刊
後継者の養成がうまくできなかった為だ
いま、八戸には「はっち」という官営の無目的ビルが中心街に建つ
この運営に年間2億5千万消費
これが間もなく指定管理者になる
そのときに、この大きな箱を運営する民間人が必要になる
これをやませが担う手もある
演劇できる空間も絵画陳列の壁面も、放送設備も揃う箱
足りないのは智恵のある人物だ
これにやませが本格的に乗り出し、劇場経営の感覚で八戸の新しい魅力を発信するべき
時代は確実に変化し、人びとは人生劇場から否応なしに引きずりおろされる
人は一代、名は末代、それは後継ができる人の登場で決まる
人生の第四角、あとは直線の叩きあいだが、若手が育てば、次のレースにも期待がもてる
やませにも、その時期が来た
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