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八月、日本を吹き荒れた百歳以上の高齢者の生存不明、これは年金詐取事件へと発展した。
人は必ず死ぬ、これは真理で不平も不満もいえない。が、その時期が人により異なる。
生きたいと思ってもそれがかなわない幼い命を幾つもみた。可哀想だった。
人に嫌がられながらも生き続ける筆者のようなイジワル爺もいる。八戸はどうか、百歳以上の生存者を把握しているのかと、高齢福祉課に行った。今調べている、そして、全調査を終了したと聞かされた。それでは今度百歳になる人々はどうなるのかと聞いた。「日本救護団」のブログ今年の8月3日号でも、それを記している。
そのとき、77人が百歳になると教えられた。今年度百歳になる人の元へは今回は行かず、敬老の日に木杯の授与があるから、そのときに確認すると言われた。9月は間もなく来ると納得した筆者が甘かった。人は信用するものではない。
信用の言葉はニンベンは人、旁は言う、つまり人の言うのを用いるが信用、筆者は高齢課員が敬老の日に、百歳木杯を授与しに行くと勝手に思い込んだ。
ここが間違い。社会問題になっているから、当然、これを機に木杯を手渡ししながら調査すると信じたアタシが馬鹿なのヨ。
高齢課は老人会連合会にそれを取りにこさせ、自分たちで31人の新百歳に面会しなかった。
デカは事件現場を百遍回るという、自分の目と耳で事態を把握しようとの精神がそれをさせる。ところがどうだ、高齢課は下請けに出し、自分の足を使わない。これは情けない。人のすることではなかろう。三浦哲郎は79歳で没した。百はまだまだ遠かった。生きてることは喜びじゃないのか、親戚縁者が百歳を国が祝う木杯を前に集い、賀宴を張るのが日本人の心じゃなかったか。
それを、自分の足を動かすことなく、手渡し終了しましたとの、町内会の言葉を用いて長寿オメデトウだと。めでたいのは高齢課の職員の頭の中だ。
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