三浦哲郎の文学館は出来なかった
市長は重要性は認識していると言ったが、認識と実行は別物。八戸では名誉市民も口だけで、敬う心はゼロ。
弘前市の名誉市民初代若乃花は、市民が千円運動をして二万人が賛同、立派な銅像が建った。亡くなったとき、市役所は市旗を半旗にして弔意を示し、そして記帳台を設け、多くの市民と故人を偲び、お別れの心を示した。
心の中は誰も見ることが出来ない。行動でしか自分の意思を表明することができない。
市役所はそれを助長する手立てを講じた。ところが八戸市はボケで、半旗どころか反旗をひるがえして、三浦文学を認めようとしない。愚かなことだ。市長は子々孫々に渡り無能を嘲笑われることだろう。
その時は一瞬、それを見逃せば末代までの恥辱となる。まして、観光交流センターが間もなく建つ、この瞬間を見逃さず、フロアーの半分でも文学館にするべきだった。
するしないはする人間が決める。それは市長の小林だ。この男に心がなかった。一戸に三浦哲郎文学館が建つようになるだろう。
三沢にたいして縁のない寺山の文学館が建つように、三浦文学は岩手県に持ち去られる。
八戸人に心がないのではない。為政者の市長の小林にそれが欠落している。
新たに予算を必要とするわけではない。今建築中のものに手直しをするだけ、それができぬは怯えている。戦になりおじける、怯えるでは勝負にならぬ。
市長は万難を排し、部下を督励し、市民の財産生命を守るを旨とする。津波が来ても迅速に動かず、オロオロオタオタでは笑止。
こうした市長を頂くわれわれに先を見る目がなかっただけだ。
来年が三浦哲郎の芥川賞受賞五十年で、記念事業を顕彰会がする。それの尻馬に八戸市役所も乗るといい訳だけは上手だ、三浦の友人も高齢化、どこまでできるか、人は一代、役所は末代、ここに永続性があるのだが、利口の足りない奴ばらとは口がきけぬ。それにつけても、八戸市民はこの期に、三浦文学を読み直しされている。その図書館からの貸し出し数は「日本救護団」だけが発表。その追悼展も間もなく終了だ。人の噂も七十五日、よく言ったもんだ。
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by jpn-kd | 2010-09-23 08:01
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