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みなさんのご意見を聞きながら、「はっち」を建設すると言った責任者は、各階の利用を図らず、目先の開館時のイベントに振り回されている。
建物は五十年を意識して建設される。ところが、開館時のセレモニーなどの行事は一瞬、その線香花火にも似た時間に関わりすぎて、五十年の歳月、人を惹きつけ魅了する作業をいいかげんにしている。
余りにも近視眼だ。これが役人の特性で、開館後は違う部署に回されるから、後は野となれでは、五十年の間、人を魅了する作業に本腰になれない。
島根の石見銀山に行った。世界遺産だ、鉱脈は果て、今はその残骸しかない。温泉は湯脈だ。地震でこれが変ると、温泉場も消え果る。魅了するものが失せるからだ。
魚も同様、群れが来なければ、いくら最新設備の船も鉄の塊でしかない。ところが、人脈は消えることはない。八戸の偉人が偉人として立つには、それら偉人を偉人として顕彰する、現代人の心構えひとつ。
これを教えるのが教育、ところがどうだ、偉人の業績に触れる場がない。それらを一堂に集めることが出来るのが、新設の場、まさに「はっち」は最適であったが、風張氏にその頭が備わらないため、あたら五十年を無為に送ることになる。
五十年後の市民は市役所の無能職員をわらうことだろう。何かに焦点を絞り、46億円を有功に使うべきではなかったのかと。
時代の篩(ふるい)にかけられて、始めて真価が問われる。目先の手柄のような小細工は小利口の奴のすることで、役人が狙うことではない。ところが、それをするんだなァ。よせよと言うと、余計にする人間がいるものだ。八戸市役所職員には時代認識が欠如、それ故に間違いをしでかす。こうしたことのため、あたら46億円も、街の駅の大型版、老人と高校生の溜まり場にしかならない。
それでも無いよりは増し、便所も長いすもあるだろうから、夏は涼しく、冬暖かい、冷房代も暖房費も役所がもつ。家でもぞもぞしているよりはよかろう。この程度で、それ以上の期待には沿いかねます。
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