三浦哲郎の死ぬのを待つのか八戸市役所
三沢に寺山修司記念館が建つ。昭和10年青森市紺屋町生誕、青森高校から早稲田教育学部に進むも中退、昭和42年劇団天井桟敷旗揚げ、昭和58年47歳没
寺山修司は三沢出身ではないが、9歳で青森空襲で焼け出され、父親の実家がある三沢市で小学校4年 生から中学校1年生まで過ごした。
三沢との縁は糸ほど細い、それでも平成9年に記念館が建った。国道には案内看板が国土交通省の力で立ち、それを見るたびに、ああ、寺山という歌人がいたなと思う。
先人を偲びその偉大な力を育んだ郷土はどのようなものであったかに思いをはせるとき、しみじみ故郷というものを味わう。
寺山死して名と記念館を残した、太宰治は病気が亢進し死ぬ以外に方法がなかった、38歳だった。生家が記念館として残る。
立松和平が2月8日に死んだ。宇都宮出身で市役所に勤務した。そこで八戸市の中心市街地活性課に連絡した。建設中の観光交流センター、通称「はっち」に三浦哲郎記念館を置かなくていいのか、せめて、喫茶室をおいたらどうかと係長の田湯に告げた。へいへいと聞いていた、三浦哲郎は存命しておられる。八戸高校の仲間は三浦氏の顕彰をこころがけ、文学碑を建立された、それも最近のことだ。
ある市議にこの三浦哲郎文学館を「はっち」に入れることを教えた。その男は三浦哲郎氏の友人を訪れ、これを自分の知恵として喋った。そして年間60万円の援助を受けた。が、この市議は文学館の話を議会で質問しない。薄汚い奴だ。心を具現するための支援金、それを己の飯の種にした。人間の風上に置けない。
立松が死んだ、三浦哲郎も高齢、「はっち」会館に官長として出席してもらうことこそ、八戸市民の心の支えになろう。
そこで市役所に連絡、その返事がこれだ。
日本救護団 御中

   平成22年2月10日八戸市ホームページよりお問合せのあった件について
  回答いたします。

   八戸ポータルミュージアム「はっち」は、八戸市の新たな交流と創造の拠点として、
  賑わいの創出や、観光と地域文化の振興を図ることで、中心市街地活性化と八戸市全体の
  活性化を図ることを目的とし、来年2月の開館を目指して整備を進めております。
  
   気軽に立ち寄り、時間を過ごせる街なかの憩いの場所としての活用や、
  様々な機能を持ったスペースを市民利用に貸し出す貸館事業、
  そして話題性に満ち人々を魅了する企画イベントの開催など、
  独自性あふれる各種自主事業の実施を通して目的の達成をめざしてまいります。
 さて、ご提案いただきました三浦哲郎氏の文学館につきましては、施設の中に整備の予定はありません。
 しかし、自主事業は、市民を始め、市外在住の八戸ゆかりの方々の ご協力、ご参加をいただきながら進めていきたいと考えており、八戸市名誉市民であり、誇るべき地元出身の作家三浦哲郎氏に 関連する事業につきましては、三浦哲郎文学顕彰協議会の皆様や、できるものなら三浦様ご本人にご協力をいただきながら 検討してまいりたいと考えております。

  八戸市 総合政策部 中心市街地活性化推進室
  TEL 0178-43-9491
  FAX 0178-47-1485   
 市役所は時間稼ぎ、またぞろ市議の金稼ぎに加担するのか、市役所は利巧の足りない集団、これに灸をすえて歩くのもホネ、が、日本救護団は骨になるまでやる。
金がほしくてやるのじゃない、時代を見、子孫にやる気を出させるものを作るためにやる。
by jpn-kd | 2010-03-01 07:46
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