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1903年東京牛込産、中学に入学後、父、佐藤紅緑が舞台女優の三笠万里子と同棲するようになり離婚、父への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。西條八十に弟子入りして童謡を作り始める。昭和13年日本コロムビアと専属契約。昭和20年「リンゴの唄」を作詞。戦後の日本を象徴する歌となった。
麗人の唄、二人は若い、あゝそれなのに、うちの女房にゃ髭がある、花売り娘、黒いパイプ、夢淡き東京 、浅草の唄 、長崎の鐘 、エンゼルはいつでも、森永製菓CM、ちいさい秋みつけた、かわいいかくれんぼ、うれしいひなまつり、わらいかわせみに話すなよ、ちいさい秋みつけた、めんこい仔馬と多数 70歳没
長崎原爆の体験を綴った永井医師は妻を失い、みずからも原爆病に伏し幼い子を残し死ななければならぬ運命を著す。それをサトウが歌にしたが、もう歌謡曲は書かないとあまりの悲惨さに筆を折った。
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