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人情物の第一人者子母沢寛2
人の情けの玉子焼き
前に申した通り、八月は講釈場のかき入れだ。隠居さん、市中を歩きまわる外交の人や行商、ひまな花柳界の人や遊び人、夏休みの勤め人などで空板を叩いている時(前座修行中の者が客が入ろうが入るまいが、三方ガ原軍記を読む)からいっぱいになる。炎天を避けて、陽がかげるころに席がはねて、その頃は銘々の家の前へ打水をして涼しくなったところで帰って行く。
 小伯山はこの八月を全く休席して、ふり向く人も無くなっている六十過ぎの松廼家京伝老人の口から、どういう訳か講釈師多しといえども、この人だけがぎっしりと腹の底に畳み込んで持っていた「清水次郎長」伝をもらっていたのである。
老人からもらったものばかりではない。小泊山は寝た間も、その話の筋立て、肉づけを忘れなかった。
 やり出したら矢も楯もたまらない江戸っ子だ。すぐに駿河の清水港へ出て行って、こんどは実地に調べ出した。
京伝の伝授とは別に天田五郎の「東海遊侠伝」といういい種本もある。小伯山はこれを手にして話に出て来る土地は片っ端から歩き廻った。
 二代目伯円が「鼠小僧」をやり出す時に、山の手の大名屋敷を毎日毎日見て廻った。円朝が「牡丹灯篭」の時も谷中の寺町をくわしく調べて、これへ筋をはめ込んで行ったのは有名な話だが、小伯山もこれをやった。追分三五郎の出る江尻追分へ行って古老に集ってもらって話をきいたり、石松殺しの閻魔堂の辺へも何度も行って、ここに、こう石松を立たせて、ここにこう都島吉兵衛を出してと、いちいち自分で立って見て、あ、ここから富士がこう見える、ここからは松並木、ここからは街道筋と、覚帳に寝込んできて、それでまた話の運び方を工夫した。
 それから今度は、木所四つ目の上万さんだの、浅草の屋根屋の弥吉さん、横浜の綱島さんだのという親分衆から、実際の侠客のつき合いだの、口の利き方、そのときどきの態度などをきいて廻って、これもとっくりと腹へ入れた。
 二代目伯山がいよいよ隠居して松鯉。小伯山が三代目を襲名したのは、明治四十年十月だ。夜席には一番いい気候である。時に伯山三十五歳。両国の福本で披露の看板をあげた。題して「名も高き冨士の山本」。ここではじめて後世に残った名講釈、清水次郎長伝の火蓋を切ったのだ。
 伯山の次郎長が、やがて凄じい気迫となって福本の大満員の客席をぐんぐん圧倒する事になった。さすがの定連もこうなるともう下手も上手もいっていられない。
「あ奴は飛んでもねえ化物だった」
 というようになった。
 福本は毎夜「転がし」が山と積まれた。「転がし」というのは下足掛けがいっぱいになって、お客の履物を入口の脇に、印をつけて積上げることである。
 翌十一月の夜は神田の小柳、さらに十二月は昼が浅草の金車、夜が日本橋瀬戸物町の伊勢本。さらに翌年の初席は八丁堀の寿亭。いやもう何処も大変な騒ぎになって、何れも席亭はじまって以来の大入り。泥棒伯円の全盛、三遊亭円朝の全盛も遠く及ばなかった。よくこの道で「八丁荒し」という。
 京橋西八丁堀の馬場通りは、昔与力や同心の屋敷があり、兜町や蛎殻町、それに魚河岸、芳町檜物町の花柳界を抱えて、なかなか生きのいい職人場所だが、それでいて昔から物価が安く、遠くから多勢買出しに来るというところである。
 ここに向い合って寿亭と聞楽亭という講釈揚があった。寿は伯山が初春の夜席に定っていたが、さて聞楽の方はどうも誰が出ても歯が立たない。寿は昼がはねて、下足番がまだその辺を掃除している中に、もう夜の客が突っかけて来る。その列が、木戸口からずうーっと馬場の通りへはみ出している。木戸が開いて、二つ目が上がらない中にお客はもう入れない。ところが向いの聞楽はそうは行かない。寿の方から「えっ、お膝送りを願います」というかん高い声がうるさく聞えて来るが、こっちはお膝送りどころかまるで客が来ない。これは典山がかかっても馬琴でも貞山でも蘆洲でも同じだ。
 その中に寿が満員だから、仕方なくその落ちこぼれがこちらへ来る。それもいい日で百精々だが、
「ええ、畜生め」
 下足番がいまいましく舌打をして、仕方がないから痩せ我慢で「大入り御礼」のビラを掛けたという。
 伯山は飛ぶ鳥を落すこの勢いの時に、神田の小柳と、浅草の金車のヒル夜の両席を京伝老人のために、催主になって老人隠退の「大読みきり」を催した事がある。どう無理しても京伝にはもう席は勤まらない。当人一生懸命になればなるほど、客はそっぽを向いている。この上勤めさせるもみじめで余り可哀そうだ、そう思うから自分の事のようにお客筋へ印物を配り出来るだけの手を尽した。そのために両所とも割れるような騒ぎで、その日の義理包みや興行の純益は一文残らず、京伝へ贈った。伯山は京伝ゆずりの次郎長が当りに当って、講釈師ばかりではない、他の諸芸人までが先生、先生と頭を下げるようになって、忘れられないのはこの京伝の恩だ。伯山はこの恩を生涯忘れなかった。
 この時の催しで、京伝は無駄をしなければ一生食えるだけの金をもらった。丁度、浅草鳥越の稲荷橋の近所に、裏路地だが、やっぱり年とったかみさんと、二人ぐらしには手ごろな空き家があったので、ここへ住まわせた。時々は碁会所へ行ったり、たまにはかみさんと二人さし向いでわずかな晩酌を楽しむという、静かな境涯になった。
 伯山は自分の真打席の収入から、毎日相当な金を別にさせておいて、十日目毎に見舞いがてら、これを京伝へ届けに来てくれた。三つ環の金紋を塗ったゴム輸の立派な抱え車(人力車)で来るのだが、稲荷橋へかかるだいぶ手前で、これを降りて、ぼつほつ歩いて来た。
 講釈の真打も少し人気が出て来ると、肝心の持ち席を休んで、お金になる料亭持合などのお座敷というのを勤めたがるのが少なくない、席亭へ行った客はずいぶん癪にさわるものだ。「次郎吉」の蘆洲もこれがひどかった。
いつも、
「講釈師は講釈場が戦場だ」
 といって、伯山は決して席を休まない。それにもう一つ、口には出さないが、お座敷へ講釈師をよんで一席聞こう、なんという旦那方のそっくり反った思いあがりの厭味な面つきがどうも虫が好かない様子で、「あんなのあ、本当の講釈のお客じゃねえや」といってどんな羽ぶりのいい料亭から口がかかっても、素っけなく断った。
 が例外はある。横浜の千登世、柳橋の亀清。この二軒だけは持ち席の都合がつけばきっと出て行って、いつも長講に演じた。だから、伯山をよびたいばかりに、わざわざ亀清へ宴席を持って行ったなどという話はよくあった。
  千登世はともかく、伯山が亀清へ行くには少し訳があった。
 ある時、座敷を勤めての帰りに、亀清のおかみさんがお土産の「折」を呉れた。かねてからなかなか講釈の耳があって、襖越しにその夜の伯山をきいて、
 「先生、こん夜は本当にいい物をきかせて下さいました。有難うよ」
 といって涙をこぼすほどよろこんで下すった。
 伯山も心うれしく、車をそこから近くの鳥越の京伝老人のところへまわした。余命短い老人はしかもその夜は風邪をひいたといって、水っぱなをすすっていたが、伯山が、
 「今夜はお前さんが念を押し押し、点取りをさせてくれた次郎長の秋葉の火祭をやってね、それが滅法なお気に入りでな、お土産をいただいたよ。さ、おれは沢山だから、お前に上げるよ。食べておくれ」
 といって自分で蓋をとってやって「折」を京伝へ渡した。
 京伝は押しいただいて、かみさんと二人で食べた。食べながら、だんだん涙ぐんでぽろぽろ泣きだした。「どうしたんだよ」というと、泣きじやくりで、「先生、わしもこれでも芸人の端っくれでございました。若い時分、一度や二度お座敷で、ご馳走をいただいた事もございましたが、こんなにおいしい玉子焼ははじめてでございます。本当においしい、こんなおいしいものを先生が召上がらずにわたくしに下さる。有難うございます」
 と、とうとう声を出して泣いた。
「なあに、今夜あ、おれがお前に代ってやった秋葉の火祭だ、お前がそれをいただいて当り前なんだよ」
 伯山はさりげなくそういったが、この夜の老人のよろこびようが忘れられなかった。だから、少し位の無理をしても亀清の座敷だけはつとめた。そして行く度にきっと「折」を貰って、帰りに鳥越へ寄った。「折」ばかりではない。その晩の謝礼金も、そっとかみさんの皺の手へ握らせた。かみさんは京伝老人より年が四つ五つも多い。髪は真白であった。
 伯山の次郎長は日と共にますます燃え盛って、何処の席亭でも、不入りがあると、いついつの月は伯山先生だから、また次郎長でうんと儲けさせてもらいまさ、といって不入りを少しも屈托せずに、それを楽しみにしたものだ。
 伯山は身体がいくつあっても足りないような忙しい中から、京伝を親身も及ばぬ介抱をしてやった。京伝は臨終に、にこにこして、「先生の看板の席の前へ化けて出てお客を引きずり込んで見せやす」
 といった。これが最終の言菜だったという。七十二歳まで生きた。
by jpn-kd | 2009-06-28 08:40
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