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人情物の第一人者子母沢寛
子母沢寛って作家がいた。勝海舟を書かせたら右に出る者がいない。戦時中、これを日経新聞に連載した。敗戦になり編集者がGHQに呼ばれた。それ対して、侍の話こそ、今の連合軍の統治に参考になると、説き伏せた。その男は島根県の産、早稲田から新聞記者になった小汀利得(おばま・りとく・トシエとも)、日本人のための経済論を持ち、細川隆元とのテレビ対談は衆目を集めた。
 それほど、子母沢寛の筆は冴えていた。この人の祖父は彰義隊の残党、函館五稜郭の戦いに敗れ、北海道に土着。短編に心をえぐる佳作が多い。その中から紹介。
「北海の直参」から
若い衆が村の番屋へ戻って、それから戦のような漁期が来て、契約の金を貰って、青森なり秋田なりへ帰るというのが先ず五月のはじめ。北海道では、これから桜が咲こうという時だ。
 その頃になると鰊、数の子、鰊カスの仲買人が大勢村へ入込んで来ている。盲縞の更紗の総裏の長羽織で、前紐は無く、ぱらりと開けっぱなしだ。これをバフリといって若い者らなかなか粋な格好とした。大抵は狡猾な奴で村の娘などでこれにだまされてとんだ事になるのがよくあった。
 そんな者ばかりでなくいろいろな売込屋が入込む。俄かに臨時の女郎屋が出来る。飲み屋が出来る。煤ぼけたお白粉焼けの狸みたいな芸者が来る。地獄女(密淫売婦。私娼)が来てそちこちの座敷を借りてその晩から商売にかかる。
 これで深い雪の中で苦労をして四箇月も働いて手にした金が、只手に渡ったというだけで、幾日も経たないうちに、みんなあばずれ女に吸上げられて、はっと気がついたら帰る汽車賃もなかったてえのがよくあった。
 国には奏子のある者もいる。仕方がないからまたダンナさんに泣いて頼んで、来年の働きを抵当に金を貸してもらってやっと国へ帰る。こんなことを繰返すヤンシュ(ニシン漁の季節労働者)が多かった。
 あるとき、この猫女郎があの毛むじやらのアイヌの漁夫に買われるのは忌やだといって、その女郎屋がこれをお履物にした。お履物というのは、断る意である。ここで大変な騒動になった。
 私の祖父をはじめむかし江戸から流れ落ちて来た仲間が承知しない。中には刀痕の二つや三つある者もいるし、上野の彰義隊で鉄砲玉を左肩にくらってやっと命拾いをした人間もいる。これが、
 「売物をアイヌだから売らねえとは何事だ。次第によっちゃあ、おれ達が相手だ」
 といってもこの人達もう何れもいい年だ。ふうふう肩で息をしているが、相手だって元より只もんじゃない、僅か一箇月か二箇月の稼ぎをするためにとにかく女郎屋を出す程の腕もあれば金もある子分もある食い詰めのやくざ者だ。
 この時に、ひどい話だが十七で、家がどん底の貧乏から年をいつわって女郎にされていた小くにさんという人がある。これかどういう訳か私の祖父に救われてある家の嫁になり村に居ついていた。色の真っ黒な眼玉の大きな人で、話上手であった。
 後年、この人の語るところに、
「和人の客や町へ出て来ていた漁師がみんな女郎屋の味方でね、百人もいましたよ。この時のあんたんところのヂッチャン(祖父)の勢ッたら大したもんでね、お前さんにはあれを見せておきたかったねえ、眼で見ておけば忌やでも男ってものあ、そういうもんだと、死ぬ迄忘れずにいられるんだ。百人を目の前にびくともしないでね、尤も刀は下げていたが、アイヌは大昔からこの土地に住ん鰊をとって来たんだ、おれたちは云わば後からそれへ割込んで来た、何にかにつけこっちで遠慮をするのが本当だ。それをひでえ事ばかりしてあの人たちをだましたりする外、人外の扱いをするとは何事だ、銭をもって売物を買おうと云えぼ取りも直さずお客様だ。さ、もしアイヌたちが一文でもしみったれな事をいったら勘定は一切おれが持つ。さ、客にしろ、どうしても忌やだというならこっちもどうせ御維新で捨てた命だ.相手をするぜというんだ、女らはみんな二階へ逃げて階段から覗いている、楼のおやじというのが名代のわからず屋だから、このままでは納まらない。どうなる事かとはらはらしていると、まるで拵え話のようだけど、おやじの親分で、北海一とまで云われた石狩の角権の大親分が何にかの用事で厚田へ来てね、この騒ぎをきいて、すぐに飛んで来てさ。人を割って入ってくると、ヂッチャンヘたった一度でいい、ここんところはおれに男をたてさてくれろと、にこにこ笑いながら云ってね。角権さんは、もう五十をとっくに過ぎていたね。面長な色の白い、丈の高い人でね、立派な男だったよ。元々ヂッチャンだって、この人とはいい仲だし、喧嘩なんぞしたいわけでもないから、これでまあまあ納まってね、それから女郎屋でもアイヌをちゃんとお客にするようになりましたよ。アイヌ、アイヌって云うけれども、とっても神仏に信仰のあつい律義な人たちでね、だから、アイヌに惚れて、女郎屋を逃げ出した人があってね、これもヂッチャンの世話になって、やっと助けてもらったが、これが五年ばかり後ちに増毛の浜でゴザを敷いて、沖を見ながら、三つ位の女の子の髪をといてやっているのを、見た人があるって事だったよ。アイヌの子でね、ひどい乞会見たいな服装をしてたと云います」
by jpn-kd | 2009-06-27 12:59
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