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古賀政男6
1960年代には過去に自らの前で「悲しき竹笛」を歌った、美空ひばりの歌の作曲を手がけた。1965年(昭和40年)発表の『柔』は第7回日本レコード大賞を受賞し、翌1966年(昭和41年)発表の『悲しい酒』もヒット曲となった。


by jpn-kd | 2010-04-18 08:01
古賀政男5
戦後の1948年(昭和23年)に近江俊郎が吹込んだ『湯の町エレジー』がヒット。同年には「古賀ギター歌謡協会」(後の古賀ギター学院)を設立した。ウィキペディアより



by jpn-kd | 2010-04-17 09:00
古賀政男4
翌1934年、コロムビアからテイチクに移籍したが、ビクターから迎えた藤山一郎、ディック・ミネ、楠木繁夫、美ち奴などを擁し、『緑の地平線』『二人は若い』『東京ラプソディー』『あゝそれなのに』『青い背広で』『人生の並木路』などの作品はヒット曲となった。ウィキペディアより

by jpn-kd | 2010-04-17 08:57
古賀政男3

by jpn-kd | 2010-04-17 08:54
古賀政男2
(昭和8年)には、松平晃が歌唱した『サーカスの唄』がヒットしたが、直後離婚騒動などもあり、体を壊し、1933年の晩秋から翌年にかけて伊東で静養した
ウィキペディアより

by jpn-kd | 2010-04-17 08:51
古賀政男
1904年(明治37年)に福岡県三潴郡田口村産、1923年(大正12年)に東京の駿河台にある明治大学に入学し、明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画
大学卒業後の1931年、日本コロムビア専属となった。当初作曲に自信が無く文芸部の社員を希望したが、結局作曲家として契約した。この時、東京音楽学校在籍時の藤山一郎と出会ったことが古賀政男の人生を大きく変えることになった。藤山一郎の歌唱表現が古賀政男の才能を開花させたのである。『酒は涙か溜息か』、『丘を越えて』、『影を慕いて』の3曲がSPレコードで発売され、以降多くのヒット曲を世に出した

by jpn-kd | 2010-04-17 08:37
日本ビクター初発売波浮の港
佐藤 千夜子(さとう ちやこ、1897年(明治30 年)3月13日 - 1968年(昭和43 年)12月13日)は日本初のレコード歌手。 本名は佐藤千代。山形県天童市出身。華々しくかつ浮き沈み激しい人生は、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」のモデルとなった。
子供の頃から天童教会の日曜学校に通い、伝道師のミス・キルバン(Miss.Kirwan)と出会う。天童小学校高等科卒業後、その歌の才能を見抜 いたキルバンに連れられて上京。ミッション系である普連土女学校(現普連土学園)に入学。在学中にオペラを鑑賞し強い感銘を受け、音楽を志す。
1920 年(大正9年)、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。在学中に作曲家の山田耕筰、中山晋平、詩人の野口雨情らと知り合う。中山、野口と共に「全国歌の旅」に出る。
1925 年(大正14年)、ラジオ放送が開始され、ラジオを通して歌うようになる。「青い芒(すすき)」でレコードデビュー。発売元は内外蓄音器(後の太平蓄音器)。
1928 年(昭和3年)、中山、野口らと共に行っていた「新民謡・新童話コンサート」から生まれた「波浮の港」を日本ビクターよりリリース。これが日本初の商業レコードとされている。「波浮の港」は10万枚の大ヒットとなる。
ウィキペディアより

by jpn-kd | 2010-04-05 07:20
大正二年 文部省唱歌

by jpn-kd | 2010-04-04 08:28
鯉のぼり
大正二年 文部省唱歌

by jpn-kd | 2010-04-04 08:25
早春賦
大正二年 作詞吉丸一昌 作曲中田章

by jpn-kd | 2010-04-04 08:20


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