八戸の中国残留孤児2
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ようよう涙もとまり、誘われるままに美保子さん、妹の案内する家に行けば、妹は八路軍の将校と結婚、弟もその家で生活。
 美保子さんとはぐれ、弟をかばいながら道ばたで泣いていると、付近の影絵を巡回して見せて歩く、つまり日本なら香具師、の夫婦が子供が無く引き取って育ててくれた。そのうちに軍の将校から結婚の申し出で、弟連れでいいならと承諾し、いつか姉さんに逢えるからと弟をなだめ、妹もいつも必ず日課のように姉とはぐれた通りを歩く。今日もそのようにはぐれた場所を歩くと、夢にも忘れぬ姉の声、よもやと思い小走り、ああ、この日を待ってた。待ってました。コウアンレイの山の中から苦労に苦労を重ねてハイロンまでたどりつき、中国内戦に巻き込まれ、姉と妹たちは離ればなれ、姉さんは私たちのこと捨てたんじゃない、きっときっと逢いに来てくれると毎夜のごとくに弟に言い聞かせたことだった。
 夕方になり働きに出た弟も戻り、涙ながらの再会を喜びその夜はそこで姉妹と弟がひさしぶりの笑顔の宴。実に実に楽は苦の種、苦は楽の種。生きてるってことは捨てたもんじゃありません。
 それから美保子さんは子供二人にめぐまれ、妹夫婦も生活安定、だが、残留日本人の最後の船が出ることを聞いて、美保子さんは弟を帰国させる決心。妹さんは今の生活に満足していると帰国を望まない。しかし、美保子さんは自分の子供にはしっかりした教育を身につけさせたい、それは日本以外にその場はない、いつか私も日本の土を必ず踏むと決意。
 最後の引き揚げ船で弟は日本に渡った。そして京都で染色の仕事に汗を流し、一流の職人になられた。美保子さんも帰国の機会をうかがい、昭和四十一年にようよう単身で日本の土を踏んだ。
 そして故郷五戸の町でギョウザとラーメンの小さな店を出した。朝から晩まで働いた。中国にいる子供たちを日本に呼び寄せたいと必死で頑張った。お客さんもボツボツ増え、うまいラーメンの店の評判が立つ。麺は手作りギョウザの皮も自分でこね腕は男のように太くなった。店が軌道に乗ると、子供達を呼び寄せようと、必死に手紙を亭主に送る。ところが亭主がウンと言わない。
 美保子さんが中国を脱出した年に文化大革命が勃発し、混乱、混乱、大混乱で学校も閉鎖、子供達に教育を受けさせたいの気持ちは更に増す。何度も何度も亭主に手紙を送った。
子供たちに教育を受けさせましょう、子供たちが一人前になれば父親に老後の心配はさせないことでしょう。あなたはその教えを子供達にしつけました。私と貴方は縁があって結婚しましたが、もとは他人です。でも二人の立派な倅たちとは貴方は血が繋がる親子なんです。そうした子供が親を見捨てることなどがありましょうや。
 この手紙に亭主は納得し、順々に倅を日本に送 り出した。五戸に子供を引き取り、ラーメン店も順調な成績、ここで美保子さんは子供達の国籍を日本にするべく努力。一筋縄で国籍は変えられないが、変えない以上、日本に留まることはできない。土壇場の知恵で中国国籍を抜くと、亭主から裁判をおこされる。でも二人の倅も必死の努力で働きぬいて、父親に欠かさず仕送り続ける。兄は大学に進学し貿易会社で通訳、今も上海で活躍中。弟が健次さん。自動車の整備士の免許も日本で取得する苦労人。母親のラーメン店を引き継ぎ、それを拡大し中国料理店にした。嫁さんも貰い三人の子供に恵まれる。長男は名門、東天紅で修行中。十和田にも店を開き美味な店だと市民から絶大な支持を得ています。今は美保子さんも引退し嫁の清子さんの働きを頼もしいと見つめる日々。時折訪ねてくる友達と昔話をするのが唯一の楽しみです。中国と日本のはざまで苦労を重ねた美保子さん、いつまでも元気でいてネ。立派な倅夫婦は貴女の、いや、江渡一族の誇りです。
# by jpn-kd | 2009-05-24 05:19
八戸の中国残留孤児
b0183351_8154516.jpg日本国にだまされ、王道楽土、楽園が中国にあると、各県が開拓団を編成し、他国へ入り込んだ。家族で移住したのは二万人。ここで土を耕したが、移住したのは農家の二、三男。日本にいては耕す土地を相続できない悩みがあった。これら青年二十万人が市町村の吏員の熱心な勧めで渡った。
 無謀な日本軍部の領地拡大策に国が乗せられた。このあたりは司馬遼太郎などの話に詳しいが、市民は役所が勧めるのだから、間違いもなかろうと信じた。信じたものが馬鹿だった。だが、役所の職員、顔なじみが嘘を言うとは思わない。役人もまさか国が負けるとは思わなかったというだろうが、薄々は気付いていた。
 それはともかく、青森県も開拓団を編成し、黒竜江省に移住。敗戦、命からがらの逃避行。その話を「はちのへ今昔」に載せたことがある。五戸ハルピン中華料理店を開いた、江渡美保子が、その人。それを少々紹介。
昔、中国東北部は日本が占領し満州帝国をブチ建てた。台湾、朝鮮を属国として日本語を強制的に教え、日本名に変えさせた。金は金田、金山などと。小泉首相が靖国神社参拝し、物議をかもすが人間の恨みつらみは何かをはけ口に求めるもの。怨讐(おんしゅう・うらみ、かたきとすること。えんしゅうともいう)は六十年たっても消えない。美保子さんにとっても、あの満州での様々なことがらが、いまだに心から消えることはない。しかし、美保子さんは生きる努力、生きて日本に帰る心のともしびを消すことはなかった。そして、無事に日本の土を踏むのだが、ここで我々が彼女から頂くことは、「人間はどんな悲惨な、そして過酷な状況下にあっても、決してあきらめるな、くじけるな」ということだ。景気が悪い、仕事がないとやけ酒呑んで自殺する者がいる。青森県は自殺者が東北で二番。この美保子さんの苦労に比べれば、なんぼか楽なことか。幼い姉妹、そして弟の三人が異境の満州の地で、必死に日本に逃げ帰る開拓団の尻について鉄道の線路に出ようとソ連国境から歩きだすが、老幼は足手まとい。次第にその列から置き去りにされ、迷ったあげくにハイロンの町中、共産党の八路軍と国民党との市街戦の中にさまよい出る。三人でようよう中国人の情けにすがりながらここまで来たが、後ろを見ると妹、弟がいない。美保子さんは十三歳、妹、弟は中国語もロクに喋れない。どうしようと弾が飛び交う路上で、必死に妹、弟の名を呼ぶ。頭上をかすめる弾、首をすくめては大声で名を呼ぶ。そんな日本人少女を見かねて中国人の女性が物陰に連れて行く。
 泣きじゃくる美保子さんをなだめ、「今、大通りでウロウロすれば鉄砲のタマの餌食になる。ともかく様子を見ることが大事、マア、私を信じてついてきなさい」と、連れて行ってくれたのが慈善事業をする奉仕団体。どこかの宗教が営んでいたのかも知れない。腹をすかした美保子さんに暖かい物を食べさせてくれ、フトンを敷いて休むように言う。しかし、美保子さんは心配で心配で眠るどころではない。
 父は軍隊にとられ、母と末の妹は服毒自殺、それからここまで来る様々な出来事が頭の中を駆けめぐるが、いつの間にか寝込んでしまう。
翌日からはどんな子供でも働かなければ食べさせないと、美保子さんを仕事に連れ出す係員。日本人が命からがら逃げ出した。その空き家から持ち出した日本人の着物の整理。中国人には捨てていった着物、日本人には持ち出せなかった着物と立場が代われば解釈も変わる。
 当時は大陸の花嫁などと、県や市町村におだてられ、だまされて精一杯の晴れ着を身につけ、大陸へと渡った人々。
 大坂証券所で場立ちをしていた証券マンは、証券取引所は閉鎖され、満州開拓団に追い込まれる。行くことを拒否すれば非国民。農業なんてしたことない。相場しか知らない人間、満州の寒さで凍えながら飢え死に寸前。でも国策で、ラジオに出される。満州放送が日本に録音盤を送ってきた。それを国策放送のNHKが全国放送。
「私は大坂証券所で場立ちをしていた○○です。今、満蒙開拓団の一員として黒龍江の近くで鍬を握ってがんばっています…」その放送後しばらくして死んだ。過労がもとだ。政府は嘘ばかりついて国民を苦しめた。命からがら満州を脱出し、途中で多くの老幼を亡くした。金や物をなくすは許せる。我が子、我が父を足手まといと捨てなければならなかった者の苦衷を知らない。知っていても放置したんだ。毎年、中国残留孤児が父を母を兄弟を捜し求めて日本に来る。寄る年波、父母は死に兄弟も年老いた。この人たちの苦衷を政府は投げ捨て、救済を放棄したのを、生きる限り日本人は忘れてはならない。
 生還しても無一物、何の補償も救済もなく、焼け跡の東京で、大坂で筆舌に現しにくいことをしながら耐えて耐えぬいた。たしかに日本政府も辛かったろう。だが、何も知らぬ大衆を満州に追い込み、それに援助救済の手をさしのべなかったのを忘れるな。役所は自分たちの成績になるなら、庶民を平気で陽気にだましつづけるのだ。それが役人の本性なのだ。今でも同じだぞ。役人はずる人と置き換えて読め。
 美保子さんの苦労はこの日から始まった。中国人の中で十三歳の少女がたった一人ぼっちで生きて行かなければならない。日本人の置き去りにした衣類が倉庫に山、明けても暮れても、それらをたたんで男女別に仕分ける作業。
 そこで十三歳の少女に機転、倉庫に入る前は薄着で行き、帰りにはそこらのめぼしい着物を着て出てくる。収容してもらった宗教団体の施設では死なない程度の食糧しか出ない。それはそうだ、今まで散々威張っていた日本人、戦争に負けてコソコソ逃げ帰った。いくら日本から出てきて、そこらに橋をかけたり発電所造っても、逃げる日本人持って帰れないとさげすみ笑った。その日本人の娘に誰が腹一杯食事を与えるものか。
 ところが人間、追い詰められると知恵が出る。着て出た着物を売り飛ばした。皆、中華饅頭になって美保子さんの腹に収まった。それで元気が体に充満。不思議なものは人生の機微(きび・容易には察せられない微妙な事情・おもむき)。元気が充満すると気力もわく。整理する着物の中から、今日はこれを着て、また売り飛ばして饅頭を買おうと、外に出ると何となくいつもと違う。襟が妙にトゲトゲする。物陰に入り込んで襟をほどいてみると、なんと百円以上の紙幣が縫い込んであった。百円ありゃ家が一軒建つ時代。苦労の末の日本娘に中国の神様が片目つむってくれた銭。
 拾った金は交番に届けろは日本の法律。大日本帝国は瓦解し孤児の美保子さんを助ける手だてはまったくない。自分の身は自分以外に守る手段がありません。その金が美保子さんに心の安定を与えると、世の中不思議じゃありませんか。
 裕福な中国人の家庭で子守をほしがっているから、お前行けと収容所からお払い箱。子守に行ったのが運命の分かれ道。人間どうなるのか一寸先は闇か、バラ色か、捨てる神ありゃ拾う神、ともかくその裕福な中国人の家に行った。そこは大の親日家、倅は東京大学に留学中、国民党の一派で日本語は流暢(りゅうちょう・ぺらぺら)。親切にしてくれて、やれ有難いと毎日子守に精を出すが、それもつかの間の幸せで、運命の波に翻弄される木の葉舟のごとくに次なる問題が発生する。
 共産党=毛沢東の八路軍と国民党=蒋介石の一派とが大通りを挟んで銃撃戦、その間に八路軍は国民党支持の金持ちの家を急襲し略奪の限りを尽くす。島国日本では幕末の天狗党が商家を襲って軍資金を集めたが、内戦となると同じ国民にひどい目にあうのもけしからん。相手が日本なら殲滅(せんめつ・皆殺しにして滅ぼすこと)も可能だが、同じ国民だと言葉が通じる分始末が悪い。
その家の主人が八路軍に連行され、取り調べを受けてる最中、兵隊が家捜し、蔵の長持を壊し初め、底に敷いて隠した金銀財宝を略奪される。かくなることを想定していたその家の家族は、かねての打ち合わせでハルピンの親類頼って家を捨てる。日本人の子守娘も連れていこうと、一家はハルピン、ハルピンへとはるばる脱出。
 ハルピンで暮らすうちに国民党は敗北し台湾に行く。月日が流れて華の十七、女の盛り。人の世話で林業は製材所で働く屈強な若者と結婚。日本人だからと差別をするでもなく、二人の暮らしは楽しく過ぎる。心がおだやかになれば気になるのはハイロンの町で生き別れになった妹と弟。さてどうしているのやらと思えば気もそぞろ。そんな女房のそぶりを知って、「気の済むまで探したらいい」優しい言葉に甘えて三百キロも離れたハイロンへの汽車の旅。
どこでどうしているのやら、気がつきゃリックの後ろの小さな手、いつのまにやら見えなくなって、それがそれきり生き別れ、達者でいれば妹は十六、弟は果たして無事でいるのやらと、思えば目頭熱くなり、膝にはポタポタ涙の跡。傍の人が笑おうと泣こうと美保子さんは少しも気にせず、早く汽車よ走っておくれ、優しい亭主の言葉のままに、なんとか逢いたい、めぐりあいたい、でも死んでいるやら無事なやら、心は遠く飛んで行く。そのころの汽車、六時間もかかったそうだ。
 さて、こうした時、人間のとる行動は別れた場所へと走るもの。日本が負けて四年が過ぎて、世の中も少しづつは落ち着いて、いつものような平和な街角。この大通りで銃撃戦、ここで気づいたら妹たちがいなかったんです。どなたか知りませんか、私の妹、弟たちを、髪ふりみだして必死に通る人やら店の人、声を励まし皆さん教えてください。日本人の子供、女の子と男の子、二人で逃げたはずなんです、私の後ろについて、ここの角で見えなくなったんです。泣きそうになるのを必死にこらえ、声の限りに探して歩く。
 山椒大夫の「安寿恋しやホーヤレホ、厨子王恋しやホーヤレホ」離ればなれになった母と子の話のごとくに美保子さんは半狂乱。今探さなければ二度と探せる時はこないと思えば、そりゃあもう真剣。その壮絶なまでの気迫に中国人も同じ人間、そういえば日本人があそこにもここにも住んでいると教える人も。
 ところが、その美保子さんの声を聞いて走って来る人影あり。それが妹、「姉さん、姉さんー」
の声聞いて後ろを見れば夢にまで見た妹の姿。二人の日本人娘が、中国東北部、ハイロンの街頭でヒシと抱き合い涙にくれた。周りの中国人も思わずもらい泣き。人情に国境なんぞありゃしません。
 続
# by jpn-kd | 2009-05-23 08:16
水産事務所の助成金に不正なし
小林市長の補助金不正流用を端として、補助金、助成金を調べている。まだ、この市長の不正流用は公衆に開示していない。これは「日本救護団」の街宣車が出来たとき、十月の選挙を睨みながら、八戸市民に訴える。
 あんな市長は落とすべきだ。さて、補助金の支出額だが、十一億八千万円だ。これは、どうしても立ち行かないので補助してくれとの哀訴に対して、市側としても、その事業を存続してもらわないと、市民に難儀をかけるから、それなら出しましょうとなる。
 つまり、赤字でどうにもならんので救護して欲しいと訴えたのだ。すると、それを欲しいと訴えたところの決算は余剰金が出れば、補助金を返還するのが正しい。
 ところが、観光協会は利益を出した。こんなところに補助金を出すべきではない。テンマ会長が辞任し、新会長になった。新体制で不正を除去しろ。言われたくないことも観光協会にはある。それを黙るも「日本救護団」の仕事だ。あまり、是正の姿勢を見せないと斬る。聞かぬうちはまだしものこと、聞いたからには、武士と生まれた悲しさは、狭い道を拡げて通るが、おのが稼業、庶民の難儀を救うため、観光協会も斬るぞ。
 さて、海のフォーラムだかを実行し、細かいところまで突っ込んだが、金の流れは明確だった。講演者から著書の購入を申し込まれ、それが南郷図書館で不明瞭な処理をしていたが、それも便秘解消だ。まあ、これ以上は書かないことにする。
 各々がた、役人の分を守り、妙なことはしないことだ。相手にどうとられるか、これが言質(げんち・後日の証拠となる(約束の)ことば。ことばじち。「げんしつ」「げんしち」は、誤読)とならぬような配慮が大事だ。
 「日本救護団」の手口を公開する。自分の身に降りかからない火の粉とするために教えるゾ。攻め込まれると狼狽する。そこで思わぬ言葉を吐く、それを待っているのだ。ある職員が「日本救護団」にバカヤロウと叫んだ。叫ぶように仕向けているんだ。待ってました。大統領!、歌舞伎で大向こうから声がかかる。歌舞伎の伝統四百年、培われた芸だ。その中に白浪もの、悪党の話ヨ。ここに参考になるものが山積だ。諸君は歌舞伎の台本を読まぬが、「日本救護団」は読んでる、読んでる。
# by jpn-kd | 2009-05-22 08:02
三茶・駒中クラブ
URL:http://sankomaclub.blogspot.com/
# by jpn-kd | 2009-05-21 11:21
はちのへ今昔 ブログへ
URL:http://hachinohe-konjaku.blogspot.com/
# by jpn-kd | 2009-05-21 10:14 | はちのへ今昔 ブログへ


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