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沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 最終回
三沢あけみが渡久地の弟子になり昭和38年に吉川静夫が奄美方言を取り入れた「島のブルース」を書いた
吉川は北海道帯広の産、駒沢大を出て小学校の校長経験し作詞家に
三浦洸一の「落ち葉しぐれ」「女のためいき」は森進一が歌った
この二曲は芳川の作詞だが渡久地政信の作曲ではない
いずれもヒットした
また、
吉川と組んで
「長崎ブルース」「池袋の夜」は青江三奈、この二つの曲とも渡久地が作曲するが、それは三沢あけみの「島のブルース」の後
名曲となった「島のブルース」を録音するも、何か足らない、何だろうと首をひねる渡久地
故郷奄美の方言も混じり、アダンの木陰も目に浮かぶがどうもしっくりこない
渡久地は故郷を音にするには指笛だと気づき、急遽これを自分で鳴らす
自分では「これだ」と得心するも、モニタールームで揉めているのが見える
指笛がうるさいと言うのだ
そこで指笛なしにやった
が、共演のマヒナスターズから苦情
指笛があったほうが乗れるというのだ
どうだとばかり渡久地政信満面の笑み
六十万枚売れた
日本レコード大賞新人賞に三沢あけみが輝いた
親友の作詞家の川内康範が言う
人間判別コンベアがあるとすると、そのベルトコンベアからはみ出すのが渡久地政信なんだと、
一風変わりもの、曲がったことが大嫌いな一本気、その気風はやはり故郷からだ
故郷忘じがたし、その故郷に渡久地は助けられる
沖縄で生まれ奄美で暮らした血が、渡久地に指笛を鳴らせと教え、その故郷の風がレコード盤の上をくるくると回り、四方を海に囲まれた南国人の誇りが大きな柱となり音楽の素晴らしさを後世に伝える
世の常、人の常で渡久地政信の肉体は滅びたが、
「島のブルース」は永遠に歌い継がれる
奄美なちかしゃ
蘇鉄の陰で
泣けば揺れます
サネン花よ
長い黒髪島娘
島むすめよ
……


by jpn-kd | 2015-02-28 19:42 | 沖縄
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 10
渡久地は競輪狂、大穴を狙うから外れがおおい
オケラになって帰る途中で懐がさびしくなり、心までも
思わず俺は淋しいんだと呟き、それを書き留め、リズムに載せる
詩は一番だけ、あとは本職の佐伯孝夫にまかせたのをフランク永井に唄わせた
次にフランクに宮川哲夫の詩を願う
リズムに苦労するが、当時ビクターが輸入したエレクトーンの先祖のような楽器があり、奥深い音を出せるのい着目
すると、すらすらと音がまとまり、現代風な曲に仕上がった
それを録音室で譜面を渡されたフランクが唄い出す
俺の心を知りながら、なんで黙って消えたんだ
チャコ、チャコ、酒場に咲いた花だけど
あのこは可憐な可憐な娘だったよ
フランクの伸びのある低音が発揮され、録音室の皆も成功を疑わない
が、二番に入り
夢のないのが淋しいと霧に濡らした白い頬
突然、声が途切れフランクが床にしゃがみこむ
そして、肩をゆすって泣いている
心の琴線に触れたのだ
忘れられない過去があったのだろう
録音を中止しフランクの心の動悸の収まるのを待つ
渡久地は生涯に二度、男泣きを経験、一人目は「上海帰りのリル」の津村謙、もう一人がフランク永井
この曲もあたった
昭和34年、日本レコード大賞が発足し、一点差で水原弘の黒いはなびらが受賞したが、この「夜霧に消えたチャコ」でフランクは歌唱賞、渡久地政信は作曲賞を受賞
そして、いよいよ渡久地政信の本領を発揮する歌手と巡り合う


by jpn-kd | 2015-02-26 07:49 | 沖縄
八戸セメント飛灰・降灰住民迷惑・議員の顔を潰した環境保全課長
湊ホロキ長根から柳町まで広範囲に津波ゴミの焼却灰が降り、付近住民に多大な迷惑をかけた
この苦情を付近住民が申し立てたところ、八戸市役所環境保全課員は我々は感知しない
これは県の仕事だなどと逃げ腰
また、灰ではなく塩だという
なら、味塩のかわりに自宅でふりかけて食え
放射能が混じっているかも知れぬ灰、それを塩だとはよくも抜けぬけと言うもんだ
この件にある市会議員が間に入り、住民も納得し八戸セメントも多大な賠償を払わなくて済み、且つ八戸市役所も付近住民から連盟の補償要求がないようにと、配慮し保全課長に住民ともども申し入れをした
こうした案件には必ずカネがからむ
八戸セメントもこうした手抜かりが明確になれば、次々と補償を求める住民が出るのは間違いなく、なんとか逃げ切りたい
二、三日前からセメント工場の煙突から煙があがらないと付近住民が騒いでいた
すると、八戸セメントの煙突に長さ4メートルほどのフィルターの設置工事が終了したと、付近被害者連盟に連絡があった
これで飛灰・降灰は収まるだろうと市役所・八戸セメントは苦情の中心人物出貝氏と近々面談し伝えるとのこと
ところが、
本日(24日)が八戸市議会の一般質問の通達最終日
その議員から一般質問の申し入れがなく、ヤッタネと環境保全課は拍手したが、予算特別委員会は事前通告なしに時間無制限で質問ができる
定例会とはここがちがう
まして、その議員には付近住民に説明をすることを伝えていない
何故?
言えば八戸セメントとともに灰じゃなく塩だ、八戸セメントの飛灰ではないと言えなくなる
それは工事をしたから灰が飛ばなくなり、降ってこなくなったことを認めることになる
それで、仲介に入った議員を飛ばして直接住民に説明する
議員には煙突工事を急遽したことを伏せておこうの魂胆見え見え
こうなれば、議員の方も遠慮はいらない
選挙が近いので波風立てないと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかなで、議員低気圧が吹くのは間違いがない
行政は吏員だけで運営するのではない
議員は吏員を監視し予算・決算に目を光らせる
議員は地域住民の苦情を受け、実態調査をする
その議員を無視したやりかたは円滑油なしに車を走らせるに似ている
議員など飾りだというおごりがどこかに吏員諸君にあるのではないか?
どんなに世の中がすすんでも、エンジンオイル無しの車はあるはずもない
吏員諸君、住民の代表が議員だということを忘れるな
議員無視で行政機能はまっとうできない
遠く沖縄の空から青森県八戸を心配しているが、何、年寄りの冷や水、小便でもして早く寝ろと言いたいだろうが、沖縄の空にはツバメが舞っている
いやあ、青森県とは違う違う
まあ、年寄りの話もたまには聞け、門松を余計潜って来た分、いくらか世の道理を知るぞ
今からでも遅くはない、頭を低くし議員に詫びろ、さもないと痛いお目玉予算委員会で腹いっぱい食わされるぞ


by jpn-kd | 2015-02-25 07:18 | 行政ネタ
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 9
大津美子が十七歳で飛び出し、その作曲は渡久地政信
ところが、どういう風の吹き回しか、大津の親との約束を途中で渡久地は放り出す
というのは、突然ビクターに移籍
困ったのは大津、キングとの契約があり、杖とも柱ともすがる渡久地に逃げられては二十歳前の娘は途方にくれる
このへんの経緯を渡久地は書きたくないのだろう、自伝を何度も読み返しても書かれていない
そこで大津は泣きつく
文芸部長の町尻は大津をなだめ、飯田三郎につくように指導
飯田は北海道根室の産
高橋掬太郎と組み岡晴夫に「啼くな小鳩よ」を唄わせて大ヒット
岡晴夫は千葉県木更津の産
早くに父母を失い祖父に育てられ上野の万年筆屋に努め松坂屋の勤務となる
屋上で上原げんと(青森県西津軽郡の産作曲家)と歌を昼休みに練習、戦後美空の『私は街の子』で大ヒットを飛ばす
上原と岡は上野・浅草を流しで稼いで歩き、キングのオーディションにめでたく二人して合格
飯田が気の合う高橋掬太郎に詩をかかせる
いいのができたが歌手の先口がいた
それが青森県八戸産の三条町子
ところが大津は幸運の籤を引く
三条がお産で歌が唄えない
そこで急遽大津に御鉢が回る
その歌こそ「ここに幸あり」
俄然、大津が輝いた
結果、結婚式があるたびに歌われる国民歌謡にまで上り詰める
人は運だ
渡久地政信が飯田三郎の作曲ができたか?
個性が違うから同じ詩でも違うリズムとなっただろう
大津は渡久地に置き去りにされたが、運が見放さなかった
渡久地はビクターに移籍するが三年芽がでない
ところが三浦洸一の踊子で大ヒット
ビクターには茨城県日立の産、吉田正が大御所として君臨
門下生にはフランク永井、鶴田浩二、松尾和子、マヒナスターズ、橋幸夫、三浦洸一と多士済々
この吉田が作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が抑留されたシベリアの収容所で歌われ、それを昭和23年のNHKのど自慢で同じ抑留兵がよみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌い話題になり、ラジオ局、レコード会社が作曲家を探す
そんなことを知らず吉田は復員し舞鶴港に立つ、そのまま元の会社に戻った
それに佐伯孝夫が詩をおぎない「異国の丘」としてレコード化
そして吉田正の作曲と判明し、吉田はビクターに入社
鶴田浩二が唄い、宮川哲夫作詞、吉田が曲をつけた「赤と黒のブルース」は都会派とよばれ、立教大のキャンパスに碑の立つ「鈴懸の経」を作詞した佐伯孝夫と時代を分けた
宮川も渡久地と同じ島育ち
渡久地は沖縄・奄美、宮川は東京都伊豆七島の神津島
三浦洸一の踊子は文豪川端康成の伊豆の踊子からきた
作詞は喜志邦三
これが当たった、品のいい三浦の高い声が響き後年、三浦は文芸ものを得手とした
そして、吉田正が渡久地に手を差し伸べた
「渡久地さん、あんたは歌手に恵まれない、いいものもっているからうちのフランク永井で二、三曲やってごらんなさい」
これが渡久地に新境地を開いた



by jpn-kd | 2015-02-24 06:08 | 沖縄
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 8
江口夜詩の弟子が春日八郎、それに若原一郎、江口が若原をキングに入社させるが七年も経つのに芽がでない
NHKのど自慢に十六歳で入賞するが渡久地の目からは素人が器用に歌を唄う程度にしか見えなかった
文芸部次長の町尻量光が若原を渡久地に預けるからなんとか世に出してくれと懇願
「おれたちサラリーマンは、町で友人と会うと、おい、どうした、元気かって声をかけるんだ。吹けば飛ぶような仲間なんだけど、こうした歌ができたら面白いと思うんだ」
渡久地はそれは面白いと二つ返事
作詞を東條寿三郎に依頼
できたのが「吹けば飛ぶよな」
ところがその詩を見て渡久地が頭を抱えた
「東條さんが渡久地ならなんとかするよってニヤリと笑って消えたんだよ、何とか曲をつけてやってよ、難しいだろうけど」
町尻の頼みと詩の内容に頭がこんがらがって来る
おうい
どしたい、元気かい
ネオンまたたく街角は
嬉し涙の沸くところ
吹けば飛ぶとぶ
飛ぶような仲間なら
誰が放さりょ、この腕(かいな)
僕もやるから君もやれ、
ポルカ歌って、ポルカ歌って世の更けるまで
最後のフレーズが明るいから、これを活かすには前半を……と思案
そして出来上がり、若原一郎が万年青年といわれるほど息の長い歌手になった
青春シリーズで「おおい中村君」などを続々発表
かくて渡久地政信の手腕が難しい歌にも発揮された
渡久地政信をしたって路面電車の走る豊橋から母子が訪ねてくる
名作曲家の弟子入り志願者だ
豊橋の鳥善という老舗の娘、まだおかっぱ頭の十六歳
名前は?
大津美子です
察しのいい読者はピンと来たかも
大津は渡久地の弟子になり毎土曜日の夜行に乗り渡久地宅へ通うようになる
そして、昭和三十年、東京アンナでデビュウー
作詞は藤間哲郎
時代はペレスプラドーのマンボが席巻


by jpn-kd | 2015-02-23 08:33 | 沖縄
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 7
渡久地が次の満塁ホームランをぶちかましたのは昭和29年
なんとなくレコード会社のキングに寄った
するとディレクターの掛川尚雄が机の中を整理しているところにでくわした
「おお、とくちゃん、整理してたらさ、前にこれを預かっていたのを思い出したよ、なんとか曲をつけてくれないかな」
と差し出したのが高崎を中心に活動し文化放送にもいたことのある山崎正の詩
「この人はあんたとも何枚もレコードを出した高橋掬太郎さんのお弟子なんだけど、いいもの書くんだけどどういうわけか芽が出ないんだよ、なんとかしてやりたいんだ、人間は実にさっぱりとしたいい男なんだ、それだけにサ……」
その詩は渡久地の知らない歌舞伎の世界の玄治店(げんやだな・玄冶というのは三代将軍家光の時代に将軍お抱えの医者として名を馳せた岡本玄冶、その屋敷のあった所が玄冶店、人形町三丁目に石碑あり)でそれを詩にしたもの
「なんでも好きなようにやってよ」と渡され、家に戻って作曲
軍隊時代に宴会で手拍子しながら芸者の三味線に合わせて歌った楽しさを再現しようと五線譜と格闘
自分では良いか悪いかの判断がつかずに掛川のところに持ち込む
「なんでもいいというので題名も「お富さん」にしました」
「お富さん、へー、そんなのもありだね」
「岡晴夫さんをイメージして作りました」
「え、岡さん、とくちゃん岡さん会社から離れるんだよ、昨日決まったんだ、これ江口夜詩さんのお弟子の春日八郎にやらせたいなあ」
「なら、いいですよ、春日さんで」
これが掛川を男にする大ヒット、この掛川が次に育てたのが三橋美智也、西村つた江に書いた詩を三橋にしろと押したのがこの掛川
その頃の三橋は北海道で民謡の神童と呼ばれるも年を重ねる度に名前を忘れられる
しかし、民謡の夢捨てがたく東京の知人の伝手で東横線の綱島温泉とは名ばかりの沸かし湯の風呂屋のボイラーマンになる
広間があり昼間はそこがガラガラしてるので、温泉の主人の許可をとりつけそこで民謡教室を開く、その弟子が素人民謡大会だかNHKののど自慢に出演、とんとん拍子に決勝まで進む、控室で三橋が三味線を弾きながら弟子に練習をさせるが、うまく歌えないところをこのように歌えと指導
それを横で見ていたプロデユーサーが三橋をキングに連れて行く
好機を待つ若手集団が毎日音羽にあるキングに集まり、お呼びのかかるのを待つ
その集団にいたのが船村徹、寒い日で学生服を来た三橋がダルマストーブに石炭をくべる手つきに、
「学生さんとも思えない年だけど…」
というと、
「明大中野高校の定時制に行ってます、もう年で生徒たちからはおとっつあんと呼ばれてまして、ええ、石炭くべは商売ですから上手いもので」
そして、掛川が押して三橋は「おんな船頭唄」で世に出た
続き船村も「別れの一本杉」で世に出る
この船村は流しのギター弾きからのし上がった
後年、同じ道を歩んだのが北島三郎
歌謡界は苦労人のかたまり
どの人物を取り上げても書ききれない味わいがある
このお富さんは爆発、キングのプレス工場でまかないきれずに、キングが頭を下げてテイチクにプレスを願うほど売れに売れた
四分の四拍子に八分の六拍子を入れジャズ風もきかせたもの
渡久地政信の才が如何なく発揮され,キングは講談社のキングではなくレコード界のキングになった


by jpn-kd | 2015-02-22 07:20 | 沖縄
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 6
今も昔も変わらないのが人間の欲望
敗戦直後は腹いっぱい喰いたい
それが、雨の漏らないところで寝たい
破れていない服を着たいから次第に流行の服へと変わり、欲望は際限がない
この、渡久地政信の満塁ホームランの成功を見れば映画界も黙っていない
水島道太郎、森繁久弥、香川京子で「上海帰りのリル」を作った
渡久地が映画主題歌を歌ったのと逆で、歌が映画をひきずり出した
力のモーメントの作用だ
売れる奴にはかなわない
売れる側に回って自分も儲けようという策略だ
レコード会社も二番、三番煎じをやらかす
が、そう甘くはない
「私は銀座リル」「リルを探してくれないか」「心のリルよなぜ遠い」と会社に請われ渡久地は作曲をしたがいずれも不発
渡久地は四曲目で開眼し、押しも押されぬ流行作曲家に数えられた
が、この「上海帰りのリル」を作るとき、雨漏りのするバラックでピアノがないのでムシロに鍵盤を書きそれを叩きながら作曲
布団にくるまって寝ていた子が、寒いと泣きながら目を覚ます
渡久地政信は不甲斐ない自分に言い聞かせる
「チバリヨー、ウチナァーンチュウ(頑張るぞ、沖縄人)」と言いながら五線譜と戦った
作曲家は生涯に三千も五千も作曲するという
三割打者となればプロ野球でも飯が食える
レコード界では三割あたれば気が狂う
そんなに当たらずとも飯が食える
本塁打868本の王貞治は生涯3割01を誇る
長嶋茂雄は3割05、日本一は張本勲の3割19
作曲家は記録ではなく、いかに記憶に残る作品を生み出すかが勝負だ
歌手の津村謙が吹き込みの際、楽譜で顔をおおって涙を隠したことを記したが、彼の師匠の江口夜詩が後年、渡久地政信にこう言った
「あの、リル、リルと呼びかけるサビの部分で、君はファ、ミーと弱い性格の音を使っているが、常識ではあそこは強い音を使いたくなるものだが、そこを君は弱い音を使って強く表現している」と褒めあげた
こうした音の使い方は沖縄民謡にしばしば現れる
沖縄は琉球、四海の中の孤島、自分の意見を強く出さず、誰とでも交易する
それこそが生きる手立て
古来より沖縄人に染みついた心根
あの、冠鷲と異名をとった具志堅用高、世界防衛13回の大記録を誇る
先祖は琉球王朝の侍、偉大な破壊力を持つパンチを持ちながら話し方は優しい
これが相手を尊重しながら自分も尊ぶ琉球魂だ
好んで好戦的なことをせず、我も尊し他人も尊しだ
その、一世風靡の「上海帰りのリル」の映画がこれだ
わずか37歳で死んだ津村謙の風貌をとくとご覧あれ



by jpn-kd | 2015-02-21 09:48 | 沖縄
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 5
「上海帰りのリル」は当時の世相を見事に写し出した
日本が拡大作戦で他国に乗り出した
軍人、軍属がどんどんと大陸、東南アジアへと送り出され他国を領土とした
その地へ官吏も送り出される
日本人商人も彼らを目当てに海外へと進出
それが、敗戦でその地で投資した建物、発電所、鉄道などは全部置き去りにしなければならなかった
着の身着のままで命からがら日本へ戻る
満州から逃げ出す人々の苦労は並大抵ではなかったとの経験談を聞いた
行政に騙されたと言う
満州に行くように行政職員が説いて歩いた
王国楽土があり土地も貰える、たしかにそうだが、そこはもともと中国人のもの
それは返さなければならない土地であった
引き揚げ者は船で舞鶴に着く、あるいは横浜に着くと、航空機のない時代、人々は船に帰還の夢を託す
無事に日本に着き、日常生活を取り戻したとき、感慨を込めて船をながめたのかもしれない
歌は世に連れ、世は歌に連れで歌謡曲は世相と切り離しができない
それを福島の産、東條寿三郎が作詞
船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風のうわさはリル
上海帰りのリル、リル
甘いせつない思いでだけを
胸にたぐって探して歩く
リル、リル、どこにいるのかリル
誰かリルを知らないか
見事に世相をえぐった
昭和26年、朝鮮動乱の翌年、少しずつ景気が上向いてきた時だった
歌手は津村謙、富山県の産、ビロードの声と呼ばれた
作曲家江口夜詩の門下生、同門には小畑実、春日八郎、曽根史郎がいる
津村が渡久地政信から譜面を渡され、録音スタジオで歌い始めるが、途中で譜面で顔を覆い絶句
「すみません、あまり曲がいいもので、思い出してしまいました」
と、しばらく録音は中止
作詞家、作曲家、歌手の三つが見事にハマリ
空前の大ヒットとなり、蕎麦屋の出前持ちが自転車に乗りながら「誰かリルを知らないか」と歌うほど
それを渡久地が聞いた
どこの誰かも知らぬ青年の心をつかみ、人々に歌われる
作曲家冥利に尽きる
同じ感慨を後年抱いたのが遠藤実
この人も苦労した
苦労の末の「お月さん今晩わ」を作曲、それをチンドン屋がクラリネットで吹きながら杉並の商店街を流している
それを耳にしてサンダルをつっかけて慌てて遠藤がチンドン屋を追いかけて、「これ、この曲は俺が作った」とクラリネット吹きに言う
突然、ステテコ男がサンダルで飛び出してきて、訳の分からぬことを叫ぶ
そのままチンドン屋は去る
が、置き去りにされた遠藤はこの曲の成功を肌で感じた
作曲家冥利だ
渡久地は日本の渡久地政信に伸び上がった

by jpn-kd | 2015-02-20 10:00 | 沖縄
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 4
渡久地政信がようようキングに滑り込み映画主題歌で4万5千枚のレコードを売り上げた
が、
どうも歌手は向かない、同じ歌を方々で違う観衆に歌うが、どうもこれは自分の目指す道ではないと悩む
そして、利根一郎のもとに相談に出た
渡久地政信34歳、イエスキリストは33歳で磔になった
男は33歳が運命の分かれ道、渡久地には女房子供もいる
利根は作曲は難しいと考え直すように言う
が、渡久地は崖っぷち、持ち歌がない
母椿の主題歌と自作の沖縄民謡調の歌、それと吉田矢健治の作曲した「ストトン・トロット」という軽い曲調
これだけで座を保つのは難しかった
その吉田矢の曲に合わせ、間奏のところで体を動かす沖縄のカチャーシー(即興舞踊)を入れると俄然観客が拍手、そのまま歌い終わりながら体を動かし消えると、万雷の拍手でアンコールの手拍子
これは後のアクション歌謡となるのだが、渡久地はそれがわからない
歌手として初めてアンコールを要求されたのが、歌ではなくアクション
おれはここまでかと思い詰めた
そして、思い込みの強い渡久地は止める利根の言葉をよそに、作曲の道へと突っ走る
故郷沖縄から東京五反田で耳鼻科を開業する遠藤医学博士がおられる
思い込みの激しい渡久地は絶対に作曲家になるんだと、心に決め遠藤博士が詩を書かれることから、故郷沖縄調の節回しを持つ曲を作り、その作詞を願いに出た
博士は診療中、渡久地は応接間のピアノを開けてその曲を弾きだす
そこへ患者を連れて博士が来る
「おもしろい曲だね、沖縄調だ」
「ええ、沖縄の囃子ことばのディササ、ハイヤを活かしたものです」
「これは新鮮だ」
供に入ってきたのがキングのディレクター足立氏、これはいいとなり歌手は三門順子さん、作詞は遠藤博士でよろしいですかとトントン拍子
天は渡久地政信を見捨てなかった
遠藤博士の奥さんは渡久地が三条町子と歌った歌で世に出たのにと残念がるが、レコード化の話が出て目を白黒
運命は不思議だ
そして、その作曲第一号が発売された
中山晋平は日本民謡、古賀政男は朝鮮民謡、服部良一はジャズと曲調がある
渡久地は沖縄・奄美に何かあるはずだと信じていた
その後も順調に作曲してはレコードに吹き込むがヒットまで届かない
ところが、四作目で日本全国に飛び出す
それが「上海帰りのリル」

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by jpn-kd | 2015-02-19 09:42 | 沖縄
沖縄の偉人 渡久地政信・歌謡曲作曲家 3
星の流れで売れっ子作曲家の利根一郎が講談社に頭を下げ、渡久地政信をキングの専属歌手にしてくれと懇願
世の中は得てしてこういうもの
本人が専属歌手になりたいからと講談社にお百度を踏んでもかなわない
が、講談社が世話になる人が、この通りだと頭を下げれば否は言えない
ここに人間世界の機微がある
人は自己の都合で頭を下げる、それは自分の対面を繕うため
ところが、困っている人を助けたいと、この通りだと頭を下げられればいやは言えないもの
利根一郎の鍋谷横丁には木枯らしに吹き寄せられた木葉のごとくに、歌謡界で身を立てたい、出世がしたい面々が集まり、食客となっている
戦災でキングはレコード吹き込み所を焼失し、キングは名ばかりで他のレコード会社の吹き込みスタジオを情けで借りる始末
キングどころか居候
そんなこんなで作曲家も素寒貧、でも、利根は泣き言言わずに食客を養い、渡久地政信をキングに押し込んだ
それでも運が渡久地政信にほほ笑む
高橋掬太郎という作詞家がいる
これは北海道は根室の産
親が国後島の漁師、函館日日新聞の記者から文芸部長となり、有名な「酒は涙か溜息か」で作詞家となる
これは高橋が日本コロンビアに投稿したのが着目され、古賀政男が曲をつけ藤山一郎が歌い一世風靡
この男が作詞し、利根一郎が作曲し、それをいよいよ渡久地政信が歌った
昭和25年の秋、題名は「流れゆく花」
昔、三益愛子という女優がいて、作家川口松太郎と結婚し川口浩らを産む、大映に川口松太郎が請われ、三益も母物という親子の縁の薄い哀切な話をシリーズで出演
これがヒット、その「母椿」の主題歌が、渡久地政信の歌
これで4万5千枚を販売
利根の労苦も報われる
このころ、利根の食客をしていたのが吉田矢健治、この人は山口県岩国産、明大マンドリンクラブから作曲をめざし利根の門を叩く
この人の曲は明るいものが多く、「あなたと共に」、「夕焼けとんび」、「山の吊橋」、「女心の唄」はバーブ佐竹で大ヒット
これで渡久地政信は歌手で成功したと思うでしょ
が、そうはいかないから人生は面白く、そして奥行きがある

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by jpn-kd | 2015-02-18 09:03 | 沖縄


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