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三浦哲郎書籍貸し出し
郷土の偉人、三浦哲郎氏の書籍は四月から八月までで345冊が貸し出された。
「はっち」の館長就任も八戸市役所は願わず、文学館を「はっち」内に設ける話も、三浦哲郎氏の周辺にはしたそうだが、本人の耳には届かなかった。
歳月人を待たず、残念なことだった。
by jpn-kd | 2010-08-31 17:08
八戸にもいる戸籍上百歳以上
正確な数字を出すべく鋭意努力中
二週間かかると市民課長の弁
戸籍が出来たのは明治五年の壬申戸籍、これで八戸市も正確な把握が出来たが、これも課税のため。
図書館にある地図で往時の人々の居住地と名前を知ることができる。
670年に天智天皇により日本最初の戸籍「庚午年籍」が作られた
どうも、今の官吏は、その頃の精神を忘れている
確実に日本は悪くなっている
班田収受の法は正確な戸籍作りから、それをのがれる民、名目的な割り当てのため、その田に行くのに一日かかるような割り当ての愚
今も同じようなものだ。
by jpn-kd | 2010-08-31 09:42
図書館臨時職員雇用
図書館の書籍検索で本のタイトルはあるが、内容、つまり外題が判らず、こんな馬鹿な話はないと噛んでくれた。
すると、国からの助成で女性臨時職員を三名だか四名雇用し、その入力をさせている。いつまでかかるか不明だが、検索で幾分かその成果を見る。
情報化社会、ところが図書館は昭和初期のまま、それが、これで幾らか解消になる。青森県立図書館並の検索結果が出るようになるのを目標としていただきたい。
世の中変った、パソコンが駆使できなければ、仕事が勤まらない。ところが、頭になる人物の能力不足で苦情を言われ不測の事態に対処した。
それが臨時雇用、税は富の再分配、働きたくても働けない人々に、仕事を与えよ、それには人海戦術で出来る仕事を探すべきだ。
積年言い続けている市長の地方税法違反、これも二代に渡り違反継続、それは固定資産の確認、毎年一回、それをしろと法では規定。ところがこれを無視、日本が法治国家なら、行政がそれを守らずして、住民だけにそれを課すことができるのか。
先ず、己が襟を糾せ、そして人々に詫びろ、前非を悔い、今後をどうするかを言明せず、自分たちの都合のいいように世の中を廻そうとするな、人民は官吏の奴隷じゃない。主権は国民にこそあり。
by jpn-kd | 2010-08-31 09:26
八戸市怠慢、市民の財産管理する気なし2
税は富の再分配に主眼を置く。現今のような長期に渡る不景気は国民の勤労意欲を削ぐだけ。
行政は無理やり集めた固定資産税を再分配できているのか。大体、市の財政たるものは国や県からの補助失くしては立たない。
国保などは、その最たるもので、市民が百%納税しても赤字にしかならない。県はその収納率の悪さを逆手にとり、補助金を減額、すると、八戸市は収納率の悪さの改善はできないが、税収を上げてそれを隠そうと、税額を上げて、市民のじさまとばさまが国保税課の窓口で大声上げた。
「俺たちに死ねというのか」
当時の課長は梅内、それに近づいて、「あれが市民の本当の叫びだ」と言ってくれた。
「ホイ?」妙な言葉を発したのをいまだに忘れない。市役所職員はそうしたもんだ。市民の嘆きなどは全く我関せずで、決まった給料を貰うことは忘れない。
税が富の再分配を主眼とするが、商店街が次第に中心をドーナツ化しても、周囲の地価が上がり、既に上がった地域を下げなければ、収税額は増大の一途。これが行政の市民騙しの手口。
亡者の待機者がなくなっても、保育園への待機児童はなくならない。行政はこれがないというが、これも大嘘。大体、役所は自分に都合のいいことしか言わない。数字を置き換える、改編するなどは当たり前、嘘でもなんでも平気でいう。終いには勘違いでした。ごめんなさいというならまだしも、配置転換を待ち、さよならも言わずに次の職場でノウノウ。これじゃ世の中良くなるはずもない。
市長の小林の箱物行政、これよりもモット大事な金の使い方があろう。それは高校卒業しても就職ができない閉塞感の解消だ。若者の雇用の場をと叫ぶより、つまらぬものを立てるより、役所が税を投入し、暫定的にも若者を雇用し、仕事を与えることだ。これも実践例があるので次のブログで紹介する。
八戸市が所有する建物の管理、それを官吏が出来ないなら民間に委託するべき。そして、その新規参入業者に若者雇用をさせろ、26億円もかけて、合掌土偶の家を新築するより、生きている若者に夢を与えよ。生きる楽しさを教えず何を教える。教育は国家安定の基礎、それを教えられない教育委員会は愚かだ。目先の小手先細工を弄する小林の手先となり、合掌土偶の家を建てた。市民より土建屋の票を大事にする。
さて、464の市の建物、どんなものがあるのかを紹介。
福祉政策課所管、南類家地域集会所、江陽集会所、洗心荘、旭ヶ丘会館、市民保養所従業員宿舎、是川団地中央集会所、沼館地域集会施設、更上閣、同別館、根城コミュニテーセンター、福祉公民館、総合福祉会館、中居林コミュニテー。公民館となると、教育委員会社会教育課の所管、コミュニテーセンターは福祉政策課、どうなっているんだ。同じ性格のものが名称を変えて所管も変る、これも妙。

by jpn-kd | 2010-08-31 09:09
八戸市怠慢、市民の財産管理する気なし
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建築基準法が平成17年に変り、十二条の2  国、都道府県又は建築主事を置く市町村の建築物(第六条第一項第一号に掲げる建築物その他前項の政令で定める建築物に限る。)の管理者である国、都道府県若しくは市町村の機関の長又はその委任を受けた者(以下この章において「国の機関の長等」という。)は、当該建築物の敷地及び構造について、国土交通省令で定めるところにより、定期に、一級建築士若しくは二級建築士又は同項の資格を有する者に、損傷、腐食その他の劣化の状況の点検をさせなければならない、と規定されたが、八戸市はそれを実施していない。つまり法律違反、これを遵守しないと懲役三年との規定がない。俗に言う理念法、当時、メールで各課に建築指導課が連絡をしたというが、それが履行されていない。その証拠は類家の児童科学館の屋根、昭和五十年に建築され、その間一度雨漏りがして屋根を修繕したそうだが、そのまま放置、写真の如く赤錆、このことを二年前に発見し、当時、「日本救護団」の屋根のペンキ塗りが必要となり業者を呼び工事発注、そのとき業者から児童科学館も緊急を要するの意見あり、市役所に言おうとしたが、指定管理になるとのことで放置、ところが赤錆が流れ出した。これでは屋根張替えとなり多額の出費となる。苦情を申し入れたら、教育センターが所管で、慌てて現場確認、「日本救護団」に教えた業者も屋根に上がり、現場確認すれど、やはりペンキで逃げる段階ではなく、本格的張替えが必要ではなかろうかの意見。
たかが2年、されど2年、この間で死んだ人も多い、元気のようでも死ぬときは来る。児童館の屋根も死んだ。じつに、ヤーネー。
こうした管理の出来ない役人根性はどうしたら改善できるようになるのか。個々の意識改革以外にはない。
各課が管理する建築物は464ある。それが、耐用に値するかを確認していない。これを専門に請け負う会社が必要となろう。

by jpn-kd | 2010-08-30 12:02
八戸市道路維持課確認を怠るな
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八戸小学校から博物館へ抜ける通り、国道との交差点熊野堂左側、道路端が波打っている。
維持課に聞いたところ、業者に発注したので改良は間近というが、バイクでは転倒は間違いなし。
こうした道路を発見した場合は苦情を申し出でること、大事に至らぬ前に解消させることだ。高低差15センチはある。これは異常だ。付近住民が気付かなければならない。
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by jpn-kd | 2010-08-30 11:41
八戸市立霊園墓地増設で待機者解消
八戸市の待機亡者は百三十人ほどいて、この嘆きが「日本救護団」に届いた。そこで役所にかけあったが、いつものようにしたくない奴ばらは、公園緑地法で、どうのこうの、東運動公園のからみもあって、そう簡単には行かないと逃げばかり、公営競馬にでも出た方が良さそうな馬面ばかり、三年がかりで、これもおもい腰を上げてもらった。
その都度、彼らの言う法律を互いに読み、その解釈は違うと論破するから、こちらもなかなか大変。
東霊園にも霊安室があったが、今は物置小屋になっている。「日本救護団」の団員が連絡してきた。お盆の時は霊園内に車は入れないようにするが、彼岸はそれをせず、霊園内で車が渋滞する。墓参りに出るのはジジババで、足腰弱るから墓所の近くまで車で行きたい、その心はわかるが、霊園内の狭い道に両側に車を置けば血栓のごとく、血流渋滞、パンクすれば脳溢血。これも解消しなければならない。指定管理のシルバー人材センターはもっと張り切れ、ただで銭はもらえないぞ。
それがいやなら指定管理を返上しろ。五年は長い、されど短い。シルバーの長が亡くなったそうだが、さて、誰が長になったやら、いずれ天下りだろうが、そのうち暇が出来たら覗きに行こう。
これで暫くは待機亡者はないだろう。それにつけても、年間三十余の返還者が出るそうだ。111歳でも生きていると年金を詐取する時代、景気後退で死んだ仏より生きてる仏が大事
仏ほっとけ神かまうなって言葉もあるなァ
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by jpn-kd | 2010-08-29 10:36
中心市街地活性化切り札がきれない理由6
「はっち」上階は居住ができる。これは同施設を利用する遠来の人への提供部分。つまり、弘前や青森からパネリストや大学の学生を引き連れてくる教授へのサービス。
学生は金がない、その学生をタダで顎で使うのが教授、いい智恵を出す生徒の発想、発明を自分のものにするのが奴ばらの特性、実に陰険きわまりない。
以前、弘前大の教授が八戸市内の活性化に智恵を出せと、八戸市から頼まれ、くだらない寝言をグランドホテルで開陳、馬鹿馬鹿しさに文句を言ってくれたことがあった。そうした、現実離れした意見をもっともらしく吹聴し、学生を引き連れウロウロ、学生は卒業したいという弱みがあるからご無理ごもっともだが、何、こちとらはジジイだ。今更単位も単(ひとえ)もありゃしない、ありそうなのは経帷子(きょうかたびら・死者に着せる着物)だけ。こうなると、さあ、殺せで、怖いものなんて一つも無い。そのジジイになっても役所は正しいことをしてくれていると思い込む愚かさ、奴ばらはロクなことをしない、「はっち」に来るこどもから百円をもぎとろうとすることだけでも、奴ばらの頭には安い味噌しか入っていないのが判る。
昔、街路灯にはスイッチが付いていて、近隣の者が点滅した。その街路灯には金具のプレートがあり、電力は国の宝と記されていた。電力どころか、今はこどもが国の宝だ。その宝から銭を徴収する、その徴収者の給料と、徴収予想額とはどのような関係になる?
役人は役に立つから役人で、役にも立たないなら、息を止めてあの世に行け。閻魔の手下の下級役人で、牛頭馬頭(ごずめず・地獄の獄卒で、牛頭人身のものと馬頭人身のもの)阿防(あぼう・地獄の獄卒。牛頭で手は人のごとく、脚は牛に似て力が強い)、羅刹(らせつ・悪鬼の通名。足が速く、大力で人を魅惑し、あるいは人を食うという)の下で働け、こどもを食う行為はそうしたものだ。
さて、このレジデンス部分は不要の長物、この「はっち」にはミニシアターがある。イトーヨーカドーが出て行って、その跡地に劇場が出来た。高齢者割引があるので、時折でかける。ここを維持してもらうには市民も映画を積極的に見ることだ。それでなければ、下田まで足を運ばなければならない。市民の便利は市民が形成しなければならない。
この「はっち」の劇場は営利ではない。そこそこの人を収容できる。八戸には北高校を中心として演劇が盛んだったことがある。この高校演劇を拡げて演劇甲子園にするには舞台がせまい。逆に狭さを利すれば、楽器のソロ演奏甲子園が可能だ。それもあまり有名でない楽器がいい、ホルンでもウクレレでも何でもいい。それを市内の家庭と組んでホームステイさせながら、勝ち抜きで優勝者を決める。全国大会になれば毎年、その栄誉を勝ち取るべく人は集まる。何もないところには何でもあるんだ。
ところが、目先のイベントに神経をすり減らし、八戸市民から八十八人を選び、それが四十四人の話を書いて、それをパネルでどうのこうの、何を真剣に口に泡を溜めて喋ることがある。
そんなのは市役所の広報を利用すればすむ、問題なのは箱を作った、それを永続して、人々が集まれる場所にすることなのだ。それを忘れて目先に走るな。風張氏は意地を張れ、風ばかりを読もうとするな、それが身命をかけての職責だ。
ウロウロするな、堂々と五十年先の市民の評価を得る努力をするんだ。広報との連携、言論の自由を忘れ、市役所の手先になったドブに落ちた犬のビーエフエムを指嗾(しそう・指図してそそのかすこと)し、補助金をくれてやる立場をかさにきて文字面、音声面から市民に立体的な広報活動をするべき。役所から銭を貰うようになれば、言論は死んだと同じだ。武士は食わねど高楊枝で、どんなに辛くても言論の自由は死守するのが当然だが、八戸人にはその魂もない。もっとも、塚原だけがそうなのかも知れぬが。矜恃(きょうじ・自分の能力を信じていだく誇り。自負)失くして生きる甲斐は何処にあるのか、銭のためなら負け犬にもなり、飼い主求めてさまようのか。
さて、箱は出来た、それをどのように運用するか、これが問われる。以前、暫く手段方法を論じたことがあったが、また、「日本救護団」の遠吠えと謗(そしる・悪しざまにいう)っていたが、百円徴収の愚を見ると、やはり黙るわけにはいかない。智恵が足りない奴ばら、もっと真剣に考えろ。箱を作って事足りたじゃない、足りないのは諸君等の能力だ。
by jpn-kd | 2010-08-28 08:46
中心市街地活性化切り札がきれない理由5
みなさんのご意見を聞きながら、「はっち」を建設すると言った責任者は、各階の利用を図らず、目先の開館時のイベントに振り回されている。
建物は五十年を意識して建設される。ところが、開館時のセレモニーなどの行事は一瞬、その線香花火にも似た時間に関わりすぎて、五十年の歳月、人を惹きつけ魅了する作業をいいかげんにしている。
余りにも近視眼だ。これが役人の特性で、開館後は違う部署に回されるから、後は野となれでは、五十年の間、人を魅了する作業に本腰になれない。
島根の石見銀山に行った。世界遺産だ、鉱脈は果て、今はその残骸しかない。温泉は湯脈だ。地震でこれが変ると、温泉場も消え果る。魅了するものが失せるからだ。
魚も同様、群れが来なければ、いくら最新設備の船も鉄の塊でしかない。ところが、人脈は消えることはない。八戸の偉人が偉人として立つには、それら偉人を偉人として顕彰する、現代人の心構えひとつ。
これを教えるのが教育、ところがどうだ、偉人の業績に触れる場がない。それらを一堂に集めることが出来るのが、新設の場、まさに「はっち」は最適であったが、風張氏にその頭が備わらないため、あたら五十年を無為に送ることになる。
五十年後の市民は市役所の無能職員をわらうことだろう。何かに焦点を絞り、46億円を有功に使うべきではなかったのかと。
時代の篩(ふるい)にかけられて、始めて真価が問われる。目先の手柄のような小細工は小利口の奴のすることで、役人が狙うことではない。ところが、それをするんだなァ。よせよと言うと、余計にする人間がいるものだ。八戸市役所職員には時代認識が欠如、それ故に間違いをしでかす。こうしたことのため、あたら46億円も、街の駅の大型版、老人と高校生の溜まり場にしかならない。
それでも無いよりは増し、便所も長いすもあるだろうから、夏は涼しく、冬暖かい、冷房代も暖房費も役所がもつ。家でもぞもぞしているよりはよかろう。この程度で、それ以上の期待には沿いかねます。
by jpn-kd | 2010-08-27 11:19
中心市街地活性化切り札がきれない理由4
三浦哲郎のコーナーが出来る。図書館にある三浦コーナーと何処が違う?
コーナーは角、角じゃ過度なことはできない。作家の生涯を知らしめる場、それがコーナーじゃ障害にしかならなかろう。
市民が不平と不満をならしても、馬の耳に念仏、またほざいている程度にしか思わない。何のための納税か。市民はできることはしている。血税を懸命に支払っている。払わなければ家屋敷をとられるから。
その税の主眼は富の再分配、ところが、市民のためといいながら、為政者のためにしかならない。自分の延命策のための箱物を造り、血税を撒き散らす。その建物には館長を置き、天下り先の確保。
官僚は死んでも死なない策を講ずる。互いにもたれあう図式の構築。それが本当に市民のためになるのか。
さて、この「はっち」の館長が誰になるのかも、奴ばらの腹が見えて面白い。どのみちロクなこともしなかろう。三浦哲郎はまだ存命、八戸市の名誉市民だ。秋山、中里、そして三浦の三人。たった三人しかいない。それも秋山、中里は行政マン、市民では三浦一人。その三浦を粗末にするは、市民を大事にしない現われ。
何と言われようと、痛くも痒くもなかろうが、市長の小林が問われるのだ。無能な職員の上に立てば、謗りののしりは甘受しなければならない。しかし、選挙で勝てばいいと思うだろうが、田向の街区変更は命とりになる。
中村が落ちて、小林になれたのも、この街区が害になった。それを感じ取ってスーパーユニバースの三浦社長が堂々の論陣をデーリー東北新聞に掲載。
明治期の八戸商人魂の再現だった。昔は新聞しかなく、主義主張は新聞を抱き込む、あるいは自分で創刊しなければならなかった。新聞は他を叩く格好の媒体。
ところが、ラジオの出現で、主義主張を言葉で伝えた。それがテレビへと移り、映像で主張者を映し出す。みてくれが大事になり、鋭く論調を唱える者は好まれない。

by jpn-kd | 2010-08-27 08:19


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