特集 八戸裏面史 いかさま名誉市民鈴木継男を通して見た八戸 その25

提灯持ち、おっちょこちょいでペテン師の大館恒夫が鈴木継男の名誉市民を言い出す前に、実は、この問題が持ち上がったことがあった。

平成5年のことだ、中里信男という疑惑の百貨店のような市長がいた。

この5年の6月議会開催中に、神奈川県座間の右翼団体天声会が街宣車を市役所に乗り入れ、佐々木泌尿器科が乗っ取ったひばりの里問題で、議場内で暴言、ビラを撒いて退場させられた。

その、次の

平成59月定例会

岩織マサミ議員発言。

名誉市民の提案の問題もそうです。突如提案して、思うようにいかなければ引っ込めて撤回する。私は、いいかげんなやり方だと言われても、仕方がないんじゃないかと思いますよ。

市長部局は名誉市民に該当するかを調べる。そこで前科があれば、受賞に価しないと判断し中止となる。

この時は恩赦がなく、鈴木継男名誉市民は没となったと思われる。

ところが、

90(平成2)年に藍綬褒章、95年に勲五等双光旭日章。

国が褒章を贈る場合は前科を当然調べる。

つまり、この時点では恩赦を得ていたのだろう。すると、八戸市が名誉市民を贈らなかったのには別の理由があったのだろう。

さて、それは?


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by jpn-kd | 2017-06-16 00:00 | いかさま名誉市民
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