特集 八戸裏面史 いかさま名誉市民鈴木継男を通して見た八戸 その12

講談社MOOK「写真で見る箱根駅伝80年」という雑誌がある。2000年2月に刊行された。

この44頁に第22回大会昭和18年1月5、6日を掲載。

昭和16年12月8日の太平洋戦争勃発に伴い従来の東京・箱根間大学駅伝に代わって、昭和18年の靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会が第22回大会となった。

2年ぶりにタスキをかけた選手が靖国神社大鳥居前の階段から出発、神保町を右折、日比谷の交差点から従来のコースに出た。1区は六郷橋を渡って立教の伊藤が日大、文理大を引き離し先頭を独走、1分15秒差で中継した2区森田も1分差を守って3区に入った……と続く

鈴木継男はテレビに出て、人生は駅伝と得々として、経営も駅伝と同じで次のランナーに引き継ぐと語った。私は拓殖大学の生徒で最終の10区を走りました。読売新聞社前のゴールには大会関係者の姿もなく、ビリの拓殖大学の後輩だけが私を迎えてくれました。

このテレビをビデオに録画し、鈴木継男は箱根駅伝に出たのか、いつか、これを調べてやろうと思った。そして、MOOKの本を取り寄せた。

拓殖大学は確かにビリ、1区は杉原宏ビリ、ここから10区までビリをひた走る。2区山本雅男、3区森田肇、4区三橋博、5区小梨豊、6区入江光行、7区後藤弘春、8区倉持凡康、9区佐藤寿郎、肝心の10区は三上晃で鈴木継男のすの字もない。

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by jpn-kd | 2017-05-27 00:00 | いかさま名誉市民
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