小林が八戸液化ガスから381台のはるるを購入、ところが覚え書きは321台。
覚え書きの印鑑は株式会社MKテレビサービスと記されているが、同社は有限会社で株式会社ではない。
佐々木はこの覚え書きについて、こう証言している。
昭和56年11月に返品を受け入れ、57年10月20日で確認。ようやく覚え書きに捺印して貰えることになった。昭和57年2月27日午前中、八戸液化ガス常務取締役工藤健太郎と共に小林の事務所を訪問。小林は印鑑を押したければ、そこに置いてあるので勝手に押すようにと机の上を示したので、私が小林の会社印と個人印を押した。それを八戸液化ガスに持ち込んだところ、小林の会社印が必要とのことで、再度工藤健太郎と共に小林のもとに行った。小林は自分から会社の印鑑を押してくれた。持ち帰ると陰影が薄いので、再度工藤と共に小林のもとを訪れ押印を要求、このとき小林は自ら押印した。
この佐々木が平成8年6月15日午前10時に八戸港で水死体であがる。これを調べるべく東奥日報、デーリー東北を調べるも記事としての水死は発見に至らず。
ただ、死亡広告あり。
八戸ガス興業社長馬渡就、八戸ガス・八戸液化ガス社長鈴木継男、液化ガスの子会社ベストライフ社長橋本正保の名が見える。
この馬渡は鈴木継男の腰巾着、八戸ガスから八戸液化ガスが飛び出し、同様にガス興業が飛び出した。つまり、この三社は親子関係。馬渡はガス管工事では市内一、それなりの権勢をふるった。やりすぎて、馬渡は、鈴木継男同様、選挙違反で逮捕され、銀行が融資引き上げで倒産。