八戸市営公益質屋開業 昭和4年
八戸市長小林は志が低いため町中活性化に本やを公営で出す
日本が貧しく八戸市も同様だった時代、昭和4年の八戸市長は公営質屋を出した
当時は市長に北村益が指名されるが、この男が三顧の礼を尽くさなければ市長にならないと、二度断る
当然三度目があり、その時は応諾するつもり
ところが二回目の使者が神田重雄、三度目の要請をせず近藤喜衛が市長に。
肩透かしを食った形になったのが北村益、その懐刀が鈴木継男の岳父の鈴木惣吉。北村が興した「はちのへ新聞」の社主、八戸市議会議員だ
公益質屋を八戸市が出したときは、市長は空席、国から代理市長が出た
助役は久保節、収入役は船越、助役が代表者をつとめ、市内三か所に質屋を出店
これはもう少し精査が必要、ちょうどその八戸市誕生には町村合併があり、小中野、鮫、湊は別市町村であった
それらが、公営質屋を持ち合併で八戸市が三つの質屋を持つことになったのだろうが、違うという証拠もあるやも
それを了承していただき、往時の公営質屋の一覧を掲載
公設公益質屋 番町11番地
公設小中野公益質屋 上左代1番地
公設湊公益質屋 湊町大沢27番地
八戸市史より
庶民金融 庶民が利用した金融機関は質屋。昭和二年八月、政府は公益質屋法を制定し社会政策に一環とし各市町村に公益質屋の設置を奨励
八戸市は四年六月に番町、小中野、湊に設置された。商業者の利用が多く45%、質物は衣類が82%。
国の補助金目当てで実施したのは今と同じ、が、市長小林の目的とは大きく異なる。葬儀やのビルが埋まらないので八戸市が借りて本屋を出店
この公益質屋は困窮者の救済だ、天と地ほどの違いがある
市民の暮らしを助けるために慣れない質屋までも営業し、市民の暮らしの一助にならん
市長小林のは口を滑らした約束の履行でしかない
情けないものだ。為政者としては慎まなければならない
財布を握っているからとて、不要不急なものに大事な税金を無駄につかうべきではない
諌める人間がいない八戸市、市長も腐っているが市民も同じだ
市長小林に迎合しおこぼれにあずかろうのゲスな人間ばかりだ
間違いは間違いと指摘できなければ、認知症小林の症状はますます進むだけだ
[PR]
by jpn-kd | 2016-07-16 00:00 | 行政ネタ
<< 健診センターの出資金3億円が行方不明 市長小林の妄語から始まったブッ... >>


ブログで行政改革をめざす日本救護団 080-9850-5240
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
メルマガ-まぐまぐ

メルマガ購読・解除


 

カテゴリ
タグ
以前の記事
記事ランキング
検索
楽天
その他のジャンル
画像一覧
累計: 検索エンジン登録
本日: SEO対策
昨日: メール配信

アクセスアップ