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米軍は53年に伊江島の真謝部落の測量を開始し翌年には「農耕も自由。損害を受ければ補償する」といって4戸を5日間の期限で立ち退かせた。そして射撃演 習の目標をつくるためブルドーザーで畑を荒した。他の農民の芋畑500坪も荒したうえ、爆撃演習でスイカ畑300坪が焼かれ全滅。植付けしても演習で焼か れるため、農耕はできず食糧難となった。だが米軍にいうと「すでに土地は借用済み」と追い返すだけだった。そして54年9月には150万坪の土地の接収と 民家152戸の立ち退きを通告。55年3月には農民たちの激しい抗議を受けるなか、3隻の大型上陸用舟艇が伊江島に上陸。約300人の武装米兵がジープ、 トラック、催涙ガスを用意して真謝部落に突入した。抗議する地主代表にたいして米軍は「米軍の地をもって日本軍よりぶんどった伊江島であるから米軍の自由 であり勝手である」といい作業を強行。そして農民が育ててきた芋、落花生、サトウキビ、防風林の松、畜舎、納屋、家屋敷もブルドーザーでひきならしていっ た。そして100万坪の農民の土地をジェット機演習場として金網で囲んだ。
さらに13戸の家には住民がまだ家財道具を持ち出そうとしているにもかかわらず、かまわず火をつけ破壊した。そして銃を突きつけて住民を1カ所に追い立 て、「このカネは君たちの家を破壊した賠償金だから受けとれ」とカネを押しつけ、指を持って強引に捺印させた。抵抗して農耕をつづける農夫を見つけると米 兵はなぐるけるの暴力をふるい、逮捕して実刑を科した。
こうしたなかで農民の生活は困窮をきわめた。6月には陳情行動から帰った34歳の婦人が過労と栄養失調で4人の子どもを残して死んだ。12月にも別の婦 人が栄養失調で死亡した。農民の要請で健康診断に来た名護保健所の所長によると100人のうち92人が栄養失調でこのままでは命が危ない状況だった。
こうした沖縄戦にはじまる殺りく、戦後も一貫して継続している米軍の犯罪、沖縄のじゅうりんは日本人を虫けらのようにあつかってきた歴史であった。それは日本全土共通の縮図であり、米軍ヘリ墜落事件とその対応はいまだに植民地占領状態がつづいていることを暴露した。
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