なはしのはなし115 オナガの「新基地は作らせませんよ」より凄い運動4
ガス弾で両親を失う
                佐久本(女性 ・二十二歳)
首里の自然壕内で

 わたくしは、戦争前、赤田町女子青年団の世話係のような役割りをしていましたが、十九年に首里市役所に臨時で入り翌年五月首里が艦砲や空襲でやられた時には、現在崎山のテレビ塔のあるあの下の自然壕にいて、首里城の焼けおちるのをみました。両親は壕に投げこまれた米軍のガス弾で死亡。

わたくしは母を抱いて倒れていたのを、同じ壕の人々に引き離されて、助けられ、崎山の壕の近くで捕虜になりました。捕虜になった後は、宜野湾の野嵩の収容所で看護婦として働き、豊見城の真玉橋の収容所で保母に、また首里に移住が許されてからは、赤田町幼稚園の保母をしました。

 お彼岸のごちそうもできあがってさあ出勤しようかというとき、首里は突如、空襲にあいました。日にちはとうしたことか、憶えていません。わたくしは、ご ちそうのお重をかかえると、父のいる家に走り、親せきの人と一緒に父を壕に移しました。走っている時、敵機が自分を狙っておいかけてくるようにみえて、こ わくてなりません。走りながら、首里城が焼けているのがみえました。

 首里の壕に残る

小満茫種の季節で壕の中に雨が流れこみ、弱かった母はとうとうゼン息になりました。家は幸い焼けなかったので、わたしは空襲の合間に走っていって みそや米を取ってきました。しかし四月半ばの艦砲の時には首里はほとんど焼けおちてとうとう自分の家もすっかり炊けてしまいました。ひどい地響きで、もう おしまいだ。木っ端みじんになるのだと、わたしたち十二人、抱き合って泣き叫びました。


 ガス弾で父母死す

 あちこちで敗残兵を捜しており、わたくしたちの壊の入口には、兵隊さんたちが使った日本軍のスコップ類が置いてあったので、何の呼びかけもなくいきなり ガス弾を入れられました。五月三十日か三十一日で、ロ-ソクをつけて奥の方でアルバムをみて楽しんでいる時でした。ゴホゴホせきこんで、今の音なんだった ろうと言ううちに、また投げこまれて、三回くらい煙があがり父母は死んでしまいました
[PR]
by jpn-kd | 2015-06-16 07:00 | 行政ネタ
<< なはしのなはし116 沖縄のく... なはしのはなし114 オナガの... >>


ブログで行政改革をめざす日本救護団 080-9850-5240
メルマガ-まぐまぐ

メルマガ購読・解除


 

カテゴリ
タグ
以前の記事
記事ランキング
検索
楽天
その他のジャンル
画像一覧
累計: 検索エンジン登録
本日: SEO対策
昨日: メール配信

アクセスアップ