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少々旧聞、1988年6月12日デーリー東北新聞から
むつで雄三忌、ファンら「川島談義」に花
10月には初の映画祭企画
むつが生んだ映画界に鬼才・川島雄三を偲ぶ「雄三忌」が十一日、川島監督が眠る同市新町の徳玄寺で開かれた。没後二十五年、秋には初の大掛かりな映画祭が企画されており、この日、熱烈な川島ファンから現金百万円の贈呈もあった。
「雄三忌」には、地元の関係者やファンで作っている偲ぶ会の槙茂副会長や大邑登喜夫事務局長ら会員十人が出席したほか、映画祭開催を本紙で知り、寄金を申し入れた八戸市類家四丁目幼稚園経営小川真さん(45)もかけ付け、墓前に線香を手向け冥福を祈った。そして境内の顕彰碑の前で、小川さんから「映画祭のために役立てて欲しい」と槙副会長に百万円が贈られた。
このあと、会場を市内のホテルに移し、四十五歳の若さで病死するまで、人間の「喜劇性」を見据えた醒めたまなざし、時代に迎合しない批評精神、社会への鋭い洞察力で五十二本の作品を残した「川島談義」に花を咲かせた。
川島映画祭は地元と中央の監督ゆかりの映画関係者らがスクラムを組み、十月十、十一の両日、下北文化会館で開かれる。代表作「幕末太陽伝」(32年日活)など9作品を一挙上映。「人間・川島雄三を探る」をテーマとしたシンポジウムや記念講演も予定されている。
小川さんは「小学五年の時に見た「わが町」にこういう映画もあるんだなと、愕然とした。その後、川島作品と知ったが、以来、監督の作品と接する機会に恵まれなかった。映画祭を川島作品の再評価と普及につなげてほしい」と話している。
「日本救護団」に金があったころの話。DVDの登場で念願の「わが町」を見ることができる。この映画祭では上映されなかった。あれから二十年も経った。この作品は織田作之助の作品を川島が映像化したもの。織田作の「夫婦善哉」は何度読み返しても、人間のしょうがない部分を巧く書いていて、頭が下がる。この小説を法善寺横町の喫茶店で読み返したことがあった。隣の席に織田作が煙草をくゆらしているようなナマナマしさを感じたことがあった。
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