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紀元前466年の鳥海山の大規模な山体崩壊によって発生した流れ山が日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな島々が出来上がった。やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって仕切られて潟湖が出来た。そして小さな島々には松が生い茂り、風光明媚な象潟の地形が出来上がった。東西の長さは20町(約2,180m)、南北の長さは30町(約3,270m)をそれぞれ超える程度であった。
江戸時代までは、九十九島・八十八潟が景勝地となり、「東の松島 西の象潟」と呼ばれ、松尾芭蕉の『奥の細道』(1689年)でも「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と評され、「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠まれた。
しかし1804年の象潟地震で海底が隆起し、陸地化した。その後、干拓事業による水田開発の波に飲まれ、歴史的な景勝地は消されようとしていたが、当時の蚶満寺の住職の呼びかけによって保存運動が高まり、今日に見られる景勝地の姿となった。
現代においても102の小島が水田地帯に点々と残されている。とりわけ田植えの季節になり水が張られると、往年の多島海を髣髴とさせる風景が見られる。象潟郷土資料館では、地震前の象潟の再現模型が展示されている。ウィキペディアより
ここに道の駅、風呂が特筆、入浴料350円、きつい塩湯、日本海一望の風呂、是非とも足をとめる場所。
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