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この隣に父の店があった。父は靴の橋文として有名な店がまだ下駄屋だった頃、靴屋に転業するべく尽力した。年期も明け、橋文から独立援助を受け開業し、商売は順調だったが、戦争の混乱もあり、父は身体を壊し、昭和二十二年に亡くなり、あっけない最後。女房は是川生まれのヨシノさん。二人の娘を残して先立った夫を恨んだこともあったろう。嘆いたことも一度や二度ではない筈。だが、欺き悲しんでいても事態は改善しない。そこで、二人の子供を食べさせるためにと、大工町から町よりの寺横町に居を移す。天聖寺の敷地を借りて最初は夫の経営した靴屋を営むが、靴職人に給料を払うと残らず、思い切って転業。それがそば屋、屋号は一二三でひふみ。久慈、階上なとから農産物を馬車で運んで来るお百姓さんたちは馬宿に泊まった。
それらの入を当て込んだのだろう。村平、新陽旅館の前身は湯宿で裏庭からは馬のいななきが聞こえてきた。
久慈街道の起・終点だった。寺横町には旧市内では最も古い警察官派出所があり、往時はこの場所が八戸の中心街であったようだ。母の経営するそば屋はその派出所の隣で、終戦後のドサクサにまぎれて八戸市内に土蔵破りが横行したが、寺横町だけは、その被害に遇わなかったそうだ。
若い未亡人は長女のユミさんと紫峰師匠を抱えて、この子たちには私のような苦労はさせたくないと心に決めたのだろう。女は何か一生食べていけるだけのものを身につけなければといけないと、苦しい家計をやりくりして踊りを習わせるようにした。戦時中に東京から空襲を避けて疎開してきた踊りの師匠が村重旅館にいた。それが、花柳栄章師匠で八戸の花柳流を開いた基になる人。この師匠のもとに二人の娘は通った。姉のユミさんは踊りを途中でやめてしまうが、紫峰師匠は継続。
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