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夏の炎天下、冬の凍る道をわらじ履きで行ったのだろう。手がかじかんで感覚もなくなる。夏は暑さで魚を腐らせないようにと笹の葉を上に載せるなどの苦労もあった。
天秤棒の前後には魚を入れるタル、包丁にまな板、それに雨風をしのぐ笠を手にして毎日街道を歩くのだから、どれ程大変だったかは察しがつく。子宝に恵まれ、貧乏者の子だくさん、稼ぎに追いつく貧乏なしと、諺は色々言うが、留之助は子供らを愛し、その成長を楽しみに働いていた。そんな時、知人が六日町に売り店が出たと知らせてくれた。十九年の間、細々と貯めた金では勿論不足だ。そこで留之助は名川の久保田の総本家にその家を買ってくれるように頼む。本家筋も留之助の努力を認めて、八戸の中心街に店を持てるのは、長い人生の中でも、そんなにあることではないと賛成し購入。そして、その家を留之助は借りた。
人間はつくづく一人で生きているのではないと知らされる。己を知ってくれる人物がどれほどいるか、その人物のある無しで、その人の生き方は大きく変わる。
伜の幸作は銘酒月松正宗で有名な松橋酒造に奉公に出た。当時松橋酒造には三日町と二十六日町の酒造所があった。ここで無事に年期を明け、六日町の久保田魚店に戻り、家業に精を出した。それは大正十三年のこと。店は大変繁盛した。六日町の賑わいは東京の下町浅草と並ぶといわれる程。幸作は酒造店で習い覚えた接客の良さが評判になる好青年。仕事が楽しくて仕方がなかった。父のような天秤棒をかついでの苦労がないだけ、店を持った者はやりがいがある。何しろ繁盛の地、やりようによれば、大もうけが出来る。客の方に出かけて魚を売るのじゃない、客の方が押しかけて来るのだ。従業員も使い、次第に店は隆盛を重ねる。昭和十年頃にはダイハツのオート三輪を購入。当時は中石商店、福真商店が所有するだけで貴重な高値の花。
続
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