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その扉、口絵にあるのが八戸で発行された新聞の写真、その解説に幻の新聞「八戸商報」の発行年月日が記されていた。この新聞は現存しない。そのことを十五年も調べていたので、この出典は何処かと訊いた。編集者は本田元高専教授、誰が記したかを問うと、教えられない。現物を見て記したのかには、文章責任者に聞いてみるとのこと。
八戸市史編纂室長を務めたのが三浦ひろし市議の父、三浦忠司さん。退職時に小学校長に転じたが、積年市史の編纂に尽力し、数々の功績を挙げた。ことに安藤昌益をNHKに取り上げさせたことは特筆に価する。
氏の努力は必ず文献に当たる学究肌。いいかげんな孫引き、聞き書きはされなかった。ところが、筆者に声を上げさせたのは、近現代編、これは三浦氏が異動したあとに出版された。
後日、この件で松山教育長に面談し、これは間違いであると伝達するも、事実関係を調査するとのこと。東奥日報はこうした史実ものには造詣が深く、このことを告げれば新聞記事になるだろう。三浦氏の努力を無にするような調査不足。この一冊の発行で、八戸市史の名誉を損なうことになる。弱ったもんだと市役所入り口で一人ブツブツ。
そこへ森園市議が現れ、どうしました?の言葉に、松山教育長にかくかくしかじかと洩らすと、「松山さんには大変お世話になりました、お姉さんとも懇意です、ぜひこれは穏便に解決させてください。どうしたらいいですか」の言葉に、訂正シールを貼る以外にはなかろうと告げると、「それなら、実施させましょう、是非、その線でおさめたいとおもいますので、私に任せていただけませんか」森園市議の言葉は柔らかい。実に誠実な雰囲気を感じさせる。
発行部数は六百五十冊、どうせ、贈呈が半数、実売されたものはごく僅か、訂正シールを貼れば間違いは隠される。マアいいかと思った。が、これが後に火種となるから世の中は面白い。そして、そのゴタの中、森園市議の態度が変るのも、君子は豹変するを想起させ、なるほど。 続
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